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 遺影に語り、線香をあげておりんを鳴らした後、天を仰ぐ。意識が白濁する記憶の靄の只中をしばし彷徨い……  えぇい、まだ呆けておれんのじゃ!  右手の拳でコツンと頭を一叩き、基弘はもう一つのルーティンへ取り掛かった。  仏壇の傍らへ無造作に置かれたスマートホンを取り上げる。会社を辞める寸前、三枝に勧められて購入した代物だ。  平成21年当時は最新機種だったが、今はオンボロのガラクタ。  完全にぶっ壊れていて……  いや、そんな筈はねぇ。だって、こいつを見るのが、俺の日課なんだから。  とは言え、液晶のバックライトが切れかけているらしく、画面がとても暗く思える。目を凝らしても時々読み取れない。  いや、そんな筈はねぇ!  電源を入れ、もう一度、瞼をこすってスマホを睨む。  ほ~ら、オンボロはオンボロなりに、ちゃ~んと使えるじゃねぇか。  ほっと安堵のため息をつく。  コイツを入手するまで、基弘は携帯電話を持った事が無かった。営業なら兎に角、経理一筋だから、仕事にさして必要ない。  お前みたいなタイプは、スマホでも無いとボッチ一直線だぜ。  そう三枝にからかわれ、フェイスブックにも登録したが、相手は三枝一人だけ。その三枝にせよ、自分の投稿に「いいね」を付けさせたい一心で引き込んだ口だ。  何しろ自己顕示欲が強烈な根っからの営業タイプである。  その上、退職後に新しい恋人を見つけただの、二股かけて火傷しただの、およそ年甲斐の無い自慢話ばかり、メッセージに載っけてくる。  ここ暫く連絡は途絶えているが、あの男のことだ。又、古女房の目を盗み、誰かの尻でも追いかけているのだろうか?  気が知れないと基弘は思う。  折角、職場を離れて自由な身の上になったのだから、わざわざ女と同居し、縛られなくたっていい。  あぁ、俺はずっと独りでいよう。  六十五才は、まだまだ若ぇ。結婚なんて所詮、人生の墓場じゃろ?  虚ろな眼差しで独り言を口にし、スマホの電源を入れる。メーラーを立ち上げると、珍しく一件の新着があった。  フェイスブックからの通知メールで『アキコ』という女性から友達申請が来た、との内容だ。  アキコ?  名前に微かな聞き覚えがある。  誰だっけ?  最近、昔の記憶が色々と混濁しているものの、本来忘れる余地など無いのだ。過去に基弘が関わった女性はごく僅か。数えれば片手の指で足りてしまう。  すぐピンと来そうなのに、思い出そうとすると、毎度お馴染み、記憶の領域が灰色にぼけていく感触があった。  スマホを操り、友達申請を受諾すれば、すぐ相手が何者かわかるだろう。でも安易にネットの申し出を受けるのは不安だ。  詐欺かもしれない。  ネット情報に疎い基弘だが、中高年の孤独な独身男へ接触し、金銭をだまし取る類の話は聞いていた。  若く、美しい女性の写真に添えて「頼りがいのある年上が好き」等と言う、歯の浮く文句を併記。うっかり申請を受けた日にゃ、近くのコンビニで通販用プリペイドカードを買え、と懇願されたり、怪しい出会い系サイトに登録させられたり……  クワバラクワバラ、ここは触らぬ神に祟りなし、の一手じゃ。  そう自分に言い聞かせ、アプリを閉じようとして、指先が止まる。  あ、もしかして、あいつ?  ようやく基弘の脳裏に地味な女性の顔立ちが浮かんできた。  アキコ。  そうそう、三十代半ばで知り合い、基弘が半年余りつきあった女が、確かそういう名前だった。  短大出の同期入社なのだが、殆ど面識は無く、三枝の紹介で一緒に呑んだのが始まりだったと思う。それなのに、彼女にまつわる記憶が薄れていたのは……  そうそう、俺がフラれて、交際が終わったからだ。  突然、彼女は会社を辞めた。何か悩む素振りなら薄々感じていたものの、詳細を基弘が聞いた覚えは無い。  社内ゴシップに目が無い三枝さえ、彼女が退職した事情を良く知らなかった。  呑めない酒をがぶ飲みし、二日くらい、ふて寝したっけ。振返ってみると、ものの見事に俺の空回りだったな。  実際、「男女の関係」という意味では、ろくすっぽ前へ進んでいなかった。  キスどころか、手を繋いだ記憶さえ無い。どのように迫れば良いものやら、当時の基弘には見当も付かなかったのだ。  今時の若者が言う「草食系」の走りだったのかもしれない。  いやいや、根性無しや臆病者はどの時代にもいるわな。  基弘は苦笑いを浮かべ、仏壇に背中を向けて、妻の遺影から隠すようにスマホを操作し始めた。  謎のメッセージを発信してきた相手へ返信する為だ。そろそろ引きこもりを脱し、孤独や侘しさから逃れる術を探っても良い頃だろう。  でも、本当にあの女か?  やっぱり詐欺って可能性の方がデカいんじゃないか?  それにもう一つ、あの年をくっても一向にガキっぽさが抜けない三枝の悪戯と言う可能性もある。  迷った末、基弘は友達申請を受諾する前に女が何者か調べてみようと思った。  朧げに浮かび上がる画面と今日何度目かの睨めっこ。やっとの事で表示したメールアプリのリンクを、覚束ない指先でタップする。
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