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「ところでここに何か用だったの? えらく熱心に見てたけど」
赤い屋根の家を指差し一郎の母は首を傾げる。私が「ここにあった本屋さんによく通っていたから懐かしくて」と答えるとなぜか「ああ」と顔を曇らせた。
「そうだったの。もうとっくにお店閉めて引っ越しちゃったわ。やっぱりこの家にいると思い出しちゃうのかしらねぇ……娘さんのこと」
「娘さん?」
俄に心がざわつく。娘さんというのはきっとあの女性のことだ。
「そうよ、えらい別嬪さんやったのにねぇ。彼女、自殺してしまったの」
「え、自殺ですか」
彼女の紙のように真っ白な顔が思い浮かぶ。あの女性が自殺した? 思わず黙り込む私に一郎の母は事の顛末を話してくれた。両親に結婚を反対され恋人と破局、その後自身に病気が見つかり将来を悲観し部屋で首を吊ったのだという。
「そうですか……」
「しばらくは書店も続けてたんだけどねぇ。娘さんが亡くなった翌年に駅前に大きなお店できちゃったでしょ? やっぱりお客さんも減っちゃったみたいでねぇ。それにこのお店、店名が娘さんの名前と同じだったからいろいろと思い出しちゃうんでしょうね」
あ、そういえばこのお店、何という名前でしたっけ、そう尋ねようとした瞬間一郎の母が「あらやだ!」と大きな声を上げた。
「そろそろお客様が来る時間なの。じゃあ失礼しますね」
頭を下げ慌てて去っていく。もうあの女性はこの世にいないのか。何とも切ない気持ちで踵を返し元来た道を歩き出す。その瞬間。
「あ!」
不意に店の名前を思い出しゾッとした。この店の名前は……すみれ書房。つまりあの女性は〝すみれ〟という名前だったんだ。何ということだろう。私は無意識にあの女性と同じ名前を孫に付けていたというのか。
(ん、待てよ)
私は何かひっかかるものを感じ足を止めた。一郎の母はこう言っていなかったか。
――娘さんが亡くなった翌年に駅前に大きなお店できちゃったでしょ?
私がこの街に越してきた時、既に駅前の商業施設はできていた。と、いうことは女性が亡くなったのは私がこの街に越してくる前? とろりと笑う女性の顔が脳裡に浮かび総毛立つ。よせばいいのに私は振り向き赤い屋根の家に目を遣った。
「あ……」
雨戸が閉まっていたはずの二階の窓からふわりとレースのカーテンが舞い上がる。あの奥には、きっと。
了
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