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偽りと真実のこゝろ
『弥七が化け狐と悪巧みをして良からぬことを考えている』という噂が広まりはじめたのは夏のころ。
その噂を耳にして怒った弥七は、長の屋敷に集った皆に事の全てを話そうと自ら出向いた。
『あの狐は悪い狐ではありません。いつも助けられています、本当です』
『斑狐との関係を今後一切絶て。関わるな。それが出来ぬのなら、何れ必ずや仕留める』
弥七は怒りと悲しさに満ちた表情をしていた。肩を落とすその様子を、清吉は遠くから見つめているだけであった。
その日は綺麗な満月の夜。
弥七はいつも狐と会おうと決めていた杉の切り株のある場所へ向かうが、どんなに待っても一向に狐は現れなかった。
事の重大さを伝えたい。
今まで約束の刻に訪れない日などなかったので何かゞおかしい、と気掛かりであったが一日、二日と月日が経ってしまった。
弥七は思った。ずっと長いこと狐と一緒に居たのに、自分は何一つ彼のことを知らなかった。
狐と居た然りげ無い日常の日ゞが当たり前になっていた。
だが、それは本当に奇跡のようなことで、いつ消えてしまってもおかしくないのだと。そんな大事なことをすっかり忘れてしまっていたのである。
俺は何をしていたんだ、今まで。
もう遅い。狐には、もう会えないかもしれない。そう考えていたある秋の夜更け、家の戸をドン〳〵と叩く音がした。
『このような子の刻に。何方だ』
『……』
畑仕事で疲れていた弥七は、いつもより早く床に就いていたこともあり、戸を叩く音ですっかりと目が冴えてしまった。
『――お前なのか、狐か』
戸へ向かい問いたゞす。
『ハイ。先日は山の中に猟銃を持った村人がたくさん隠れていて怖くて、お会いすることが叶いませんでした』
弥七は急いで立ち上がり、慎重に戸を二寸ほど開けると、確かに目の前にはこれまで会い続けていた人の姿をした狐の姿があった。
『久しいな。早う入れ』
『見てください。来る途中で見つけた木通ですよ。お土産――』
熟れた木通を五つ懐から取り出して嬉しそうにしていた狐であったが、弥七はすぐに狐を家の中へ招き入れ、両肩を掴み面と向かった。
その勢いで手にしていた木通が地へ落ちコロ〳〵といくつか囲炉裏のある方へ転がる。
狐は徒ならぬ弥七の様子に驚き、顔を強張らせた。
『いゝか狐、よく聞け。ずっと話があったんだ。もうこの村へは来てはいけない』
『――どうして』
『見たろう。お前を追い払おうとする人間が、この村では大勢居る。危険だ』
『なぜ、何も悪いことなんてしていないのに。お話をして、手伝いをしていたゞけですよ』
『そうだな。何も悪いことなんかしちゃアいない。皆、誰も話を聞いてくれなかった』
『それは、わたしが斑模様の狐だからですか』
そう狐が言ったあと、外から何やら物音がした。
狐も弥七も、ハッと息を潜め耳を澄ませる。
『誰かゞ居る。大勢の人間と煙のにおいだ』
狐が、戸へ視線を向け鼻を利かせている。
『まさか、村人の仕業なのか』
弥七は用心しながら外へ出ようとしたが、外から戸が何かで頑丈に固定されているのか、ビクとも動かなかった。
『どうしよう、弥七さん』
なんとかせねば。考えねば。早く。
家の中に煙が流れ、戸の隙間からはパチ〳〵と音を立てた炎がユラリと揺れるのが見えた。
信じたくはなかった。まさか、火を放たれるとは。
額に汗が滲む。弥七は息を呑んだ。
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