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さゝやかな幸せ
弥七の新しい民家、その縁側で狐多郎は寝そべりながら昆虫を見つめていた。
『ムウッ』
広い庭に四季に咲く花々、見たこともないような実を付ける木々が多く存在している。以前、狐多郎と一緒に食べた『桃玉林檎』の大木も数本植えられていた。
チョコ〳〵と床の上を歩いているダンゴムシを目で追う。右手の人差し指で背中をチョンと触ると、コロンと丸くなった。
そして暫く経つと、また歩き出す。
その様子を見るのか楽しいのか、狐多郎は夢中だ。
『フヽヽ』
『ン、どうした狐多郎。何をしているんだ』
弥七の両手には、切られた西瓜があった。美味しそうな赤が映えている。
暑い夏の日差しと、向日葵がふたりを照らし、微笑んでいるようだ。
この世界には、俺たちしかいない――。
『ダンゴムシを観察していました。コロンとしてまんまる。面白いです』
『ホレ、冷やしたての西瓜。昆虫が好きなのか』
『ハイ。昔から大好き。つい先ほども、畑に珍しい虫がいたんですよ。一寸にも満たない大きさで、甲羅が銀のように光っていて――アレ、傍に置いていたのですが……無くなってるッ』
身の回りと縁側をキョロ〳〵と探すが、その甲虫は見つからない。
狐多郎の狐耳はみる〳〵うちにションボリとして、元気を無くした。
『それは、完全に逃げられたな。死んだフリというやつだ』
『そんなァ、きれいな甲羅をしていたから、弥七さんにも見せようと思ったのにィ……残念。でも、生きていたのなら、よかった。何処へ旅立ったんだろう――』
蝉の鳴き声。
それは徐々に脳内に木霊するように反響していく。
弥七さん。
誰、誰の声。
弥七さんってば――。
狐多郎の声だ。
『弥七さんッ』
いつの間にか、気を失っていたようであった。
呼ぶ声の後、雷雨と降りしきる雨に打たれていたことに気付く。頬や手の甲に当たる雨粒が痛いくらいだ。
そして、迅は既に村の西側の上空に辿り着いており、狐杜那の体が微かに消えかヽっていた。
天には三日月が見える。
『なんで、体が――消えて』
朦朧とした状態で弥七が言った。
漆黒の雷雲が、迅と彼らを中心に壁となり包囲している。
『なっ、なんでエィ、コレは。手足がピリ〳〵チク〳〵しやがらァッ』
迅は空中で前足を振り払う仕草をすると、小さな雷のようなものがパチッと光を放った。
『いけない、これはたゞの雷雲ではない。何者かに生み出されたものだッ』
皆は巨大な雷雲の中心に居り。完全に黒い雲の壁に囲まれている。まるで台風の目の中のような開けた空間だが、直ぐ真下は豪雨と雷鳴が轟き村を襲っていた。
狐杜那は、焦っていた。まさか、人の世で天候を操るものに遭遇するなど、これまで一度たりとも無かったからである。
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