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1.そこに壺があったなら
「呪いの現場を押さえた! 観念するんだ、エリシア!!」
バーンと扉が開いて。
夜、小屋でひとり作業に没頭してる私のもとに、婚約者殿が飛び込んで来た。
「お前がミュゼットを呪っていると聞いた。我が国で"呪い"は禁じられている! 公爵令嬢と言えど厳罰を逃れることは出来んぞ!」
「は?」
大きな声と言葉の内容に驚いて、手に持つ壺を危うく落としそうになる。
「こんな小屋に潜んでいたとは……」
唖然とする私を無視し、ひとり室内を観察しているのは同い年のロデイル殿下。
今年十六というのに馬鹿っぽいのは、うん、まあ置いておこうか。顔はいいのに、残念。
「ええと。ロデイル殿下? 夜に突然、公爵家の森にお越しになるというのは、一体どういったご了見です?」
「お前が呪いの儀式を行っていると聞き及んでな。その壺がそうだな? 浅ましい──。壺に憎い相手の名と呪い文を一緒に入れて、土に埋める。呪いの常套手段だ。小屋の周囲にもいくつか埋めた跡があった。あれらも全てそうなのだろう」
「何か誤解があるようですが、これ、漬物ですよ?」
「すぐバレる嘘をつくな。どこの世界に、自分で漬物を作る公爵令嬢がいるというのだ」
「ほら」
壺の蓋を開けると、のぞき込んだ殿下は驚いた。
「……ひどい、色だが。うっ、ニオイもすごい。なんだこれ」
「ニンニクの塩漬けです。なぜか青緑色になっちゃうんです」
「ニンニク? 悪魔が逃げてしまうぞ? 悪魔に祈祷文を捧げてるんじゃないのか?」
「なぜ私がそんなことを?」
「えっ? それは……。俺がミュゼットと仲良くしてるのが気に入らなくて……。ミュゼットを呪うために?」
首を傾げながら言われても。
男爵家のミュゼット嬢は、ロデイル殿下のお気に入りの娘だ。
「しませんが。殿下、それ浮気っていいません?」
「断じて浮気ではない。ミュゼットが俺の本命だ。お前は親同士が決めた婚約相手に過ぎない。俺の愛はミュゼットにのみ捧げられている」
まるで決めてあったセリフみたいに、きっぱりと言う。
(臆面なく言い放つことじゃないんだけどな──)
我が婚約者ロデイル様は、この国の第一王子だ。
彼はれっきとした正妃腹だが、父である国王陛下には、長年の愛妾がいる。
王妃殿下が隣国から嫁ぐ前から、恋仲だったヘルガ・バネスト。
愛妾ということで、現在、伯爵位を賜っている女性。
"バネスト伯爵夫人"と呼ばれているのは、未婚なのに、これいかに。女伯爵って意味だ。同じ単語。
ロデイル殿下の母君は、宮廷で幅を利かせるこの愛妾に、長年苦しめられてきた。
王の寵愛が愛妾にある以上、王妃と言えど我慢や屈辱を強いられる日々なのだ。
幼い頃からその様子を間近で見て来た殿下は、自分の妻にはそんな苦労をさせたくないと考えた。そして、正妃ひとりを愛し抜こうと心に誓ったらしい。
それは立派なんだけど、その愛しい相手が政略で決まった婚約相手ではなく、自分で見染めた恋人というあたりに、いまの問題がある。
ミュゼット可愛し、エリシア憎し。
いやん、迷惑。
「まあ、お掛けになりませんか、殿下。せっかく来られたのだし、お茶をお淹れします。ついでに漬物の試食もご一緒にどうです?」
小屋の椅子を促すと、ブツブツ言いながら腰かけている。
無骨な木の椅子なのに、素直だわ。
「漬物は要らん。それより呪いは!」
「呪いなんて、かけてませんてば。どうぞ外の壺もお確かめください。熟成中の漬物ですから」
土に埋めると温度が安定して、熟成がはかどるのだ。
ニンニクの塩漬けを豆皿に取り分け、テーブルに置く。
「それよりこんな夜遅くに、レディを訪ねる非常識さを反省してくださいよ。あと言いがかりを謝ってください」
「レディが雑木林の小屋でひとり、怪しい事をしている不自然さをまず問いたい。……危ないだろ」
追い詰めに来たのに、心配してるの?
「ここはウチの屋敷裏。私の勝手です。──まったく。王城の方たちは、殿下の夜間外出を止めなかったのかしら」
「ウェルテネス公爵邸に行くと言ったからな。婚約相手の家だぞ。咎められたりはしない」
「都合の良い時だけ、婚約者という名を使わないでください。使用料をいただきますよ?」
お茶を注いだティーカップを殿下に出すと、断りを入れつつ私も対面に座す。
雑木林の物置を改築してもらい、半年前から私が秘密基地として使っている小屋。
中央には、優美さはなくも頑丈なテーブルがあり、端にはたくさんの小瓶や容器を積み上げている。
おまけのように育てているハーブたちも、鉢を根城に好き放題に伸びていた。
物珍しそうに殿下が小屋の中を見ながら、お茶を口につけた。
「ここはなんだ?」
今頃聞くの?
「私の秘密基地です」
「秘密基地ぃ?!」
「と、呼べばカッコイイでしょ? 作業部屋より憧れるでしょ? ここでは、いろんな食べ物を作っているのです。私が食べたいと思うものを。品格重視の公爵家では出してくれないので」
殿下が驚いたように目を丸くしながら、ぽつりと呟いた。
「──変わったな、エリシア。以前はこんなこと、興味が無かったろう?」
「殿下が私を知らなかっただけですわ」
しれっと答えるが、実際、エルシア・ウェルテネスは変わったのだ。
前世を、思い出してしまったから。
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