1.そこに壺があったなら

1/1
前へ
/6ページ
次へ

1.そこに壺があったなら

「呪いの現場を押さえた! 観念するんだ、エリシア!!」  バーンと扉が開いて。  夜、小屋でひとり作業に没頭してる私のもとに、婚約者殿が飛び込んで来た。 「お前がミュゼットを呪っていると聞いた。我が国で"呪い"は禁じられている! 公爵令嬢と言えど厳罰を逃れることは出来んぞ!」 「は?」  大きな声と言葉の内容に驚いて、手に持つ壺を危うく落としそうになる。 「こんな小屋に潜んでいたとは……」  唖然とする私を無視し、ひとり室内を観察しているのは同い年のロデイル殿下。  今年十六というのに馬鹿っぽいのは、うん、まあ置いておこうか。顔はいいのに、残念。 「ええと。ロデイル殿下? 夜に突然、公爵家の森にお越しになるというのは、一体どういったご了見です?」 「お前が呪いの儀式を行っていると聞き及んでな。その壺がそうだな? 浅ましい──。壺に憎い相手の名と呪い文を一緒に入れて、土に埋める。呪いの常套手段だ。小屋の周囲にもいくつか埋めた跡があった。あれらも全てそうなのだろう」 「何か誤解があるようですが、これ、漬物ですよ?」 「すぐバレる嘘をつくな。どこの世界に、自分で漬物を作る公爵令嬢がいるというのだ」 「ほら」  壺の蓋を開けると、のぞき込んだ殿下は驚いた。 「……ひどい、色だが。うっ、ニオイもすごい。なんだこれ」 「ニンニクの塩漬けです。なぜか青緑色になっちゃうんです」 「ニンニク? 悪魔が逃げてしまうぞ? 悪魔に祈祷文を捧げてるんじゃないのか?」 「なぜ私がそんなことを?」 「えっ? それは……。俺がミュゼットと仲良くしてるのが気に入らなくて……。ミュゼットを呪うために?」  首を傾げながら言われても。  男爵家のミュゼット嬢は、ロデイル殿下のお気に入りの娘だ。 「しませんが。殿下、それ浮気っていいません?」 「断じて浮気ではない。ミュゼットが俺の本命だ。お前は親同士が決めた婚約相手に過ぎない。俺の愛はミュゼットにのみ捧げられている」  まるで決めてあったセリフみたいに、きっぱりと言う。 (臆面なく言い放つことじゃないんだけどな──)  我が婚約者ロデイル様は、この国の第一王子だ。  彼はれっきとした正妃腹だが、父である国王陛下には、長年の愛妾がいる。  王妃殿下が隣国から嫁ぐ前から、恋仲だったヘルガ・バネスト。  愛妾ということで、現在、伯爵位を賜っている女性。  "バネスト伯爵夫人"と呼ばれているのは、未婚なのに、これいかに。女伯爵って意味だ。同じ単語。  ロデイル殿下の母君は、宮廷で幅を利かせるこの愛妾に、長年苦しめられてきた。  王の寵愛が愛妾にある以上、王妃と言えど我慢や屈辱を強いられる日々なのだ。  幼い頃からその様子を間近で見て来た殿下は、自分の妻にはそんな苦労をさせたくないと考えた。そして、正妃ひとりを愛し抜こうと心に誓ったらしい。  それは立派なんだけど、その愛しい相手が政略で決まった婚約相手(わたし)ではなく、自分で見染めた恋人(ミュゼット)というあたりに、いまの問題がある。  ミュゼット可愛し、エリシア憎し。  いやん、迷惑。 「まあ、お掛けになりませんか、殿下。せっかく来られたのだし、お茶をお淹れします。ついでに漬物の試食もご一緒にどうです?」  小屋の椅子を促すと、ブツブツ言いながら腰かけている。  無骨な木の椅子なのに、素直だわ。 「漬物は()らん。それより呪いは!」 「呪いなんて、かけてませんてば。どうぞ外の壺もお確かめください。熟成中の漬物ですから」  土に埋めると温度が安定して、熟成がはかどるのだ。  ニンニクの塩漬けを豆皿に取り分け、テーブルに置く。 「それよりこんな夜遅くに、レディを訪ねる非常識さを反省してくださいよ。あと言いがかりを謝ってください」 「レディが雑木林の小屋でひとり、怪しい事をしている不自然さをまず問いたい。……危ないだろ」  追い詰めに来たのに、心配してるの? 「ここはウチの屋敷裏。私の勝手です。──まったく。王城の方たちは、殿下の夜間外出を止めなかったのかしら」 「ウェルテネス公爵邸に行くと言ったからな。婚約相手の家だぞ。咎められたりはしない」 「都合の良い時だけ、婚約者という名を使わないでください。使用料をいただきますよ?」  お茶を注いだティーカップを殿下に出すと、断りを入れつつ私も対面に座す。  雑木林の物置を改築してもらい、半年前から私が秘密基地として使っている小屋。  中央には、優美さはなくも頑丈なテーブルがあり、端にはたくさんの小瓶や容器を積み上げている。  おまけのように育てているハーブたちも、鉢を根城に好き放題に伸びていた。  物珍しそうに殿下が小屋の中を見ながら、お茶を口につけた。 「ここはなんだ?」  今頃聞くの? 「私の秘密基地です」 「秘密基地ぃ?!」 「と、呼べばカッコイイでしょ? 作業部屋より憧れるでしょ? ここでは、いろんな食べ物を作っているのです。私が食べたいと思うものを。品格重視の公爵家では出してくれないので」  殿下が驚いたように目を丸くしながら、ぽつりと呟いた。 「──変わったな、エリシア。以前はこんなこと、興味が無かったろう?」 「殿下が私を知らなかっただけですわ」  しれっと答えるが、実際、エルシア・ウェルテネスは変わったのだ。  前世を、思い出してしまったから。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

72人が本棚に入れています
本棚に追加