72人が本棚に入れています
本棚に追加
2.私たちは契約を結ぶ
◇
それは、半年前の朝。
(うわああああ。私の平坦な顔が! めっちゃ美人になっている!! 何が起こったの──???)
起きて、鏡を見た時の驚きと言ったらなかった。
仕事に疲れて自室に倒れ込んだ私は、意識を失うようにそのまま眠り込んで……。
次に目覚めたら、貴族令嬢。環境も、容姿も、身上も年齢も! 何もかもが変わっていた。
艶めく金髪に、透き通るような白い肌。有り得ないくらいバランスの良い目鼻立ちと、魅惑的な青い瞳。
どこの神絵師がキャラデザをしたのかと聞きたくなるほど、美麗な少女。
(これって憑依? それとも転生?)
真っ先に思い浮かんだのは、よく読むラノベの設定で。
私が公爵令嬢、さらに婚約相手が王子殿下ということで、憶測はほぼ確信に変わった。
私、悪役令嬢ポジションだ。
知らない小説かゲーム。あるいは漫画。
何が起こったのかはわからないけど、殿下にはお約束、男爵令嬢の恋人あり。
少し前まではうろつく令嬢を気にしてなかったふうなのに、このところ二人の距離は一気に縮まった。
もう間違いない!!
このままいくと、何らかの展開で私は将来断罪される。
断罪された後ハピエンというのもテンプレだけど、その前の不遇さはイヤだ。
放逐されたらその場で被害に遭いそうだし、運よく隣国の王子に出会ったとしても、見初められて救済されるとは限らない。
こんなときお話での憑依者の対処方法は、お金を貯めて逃げ出す。
──のを、よく見るけど、あれが成功した事例はない。
大抵、見つけ出されて、ヤンデレに溺愛されている。
逃げるのは無しだ。
私が目指す路線としては、円満な婚約解消アンド安泰な結婚生活。
よし。ロデイル殿下に婚約解消を持ち掛け、かつ、自国でイイカンジの相手に嫁ぐ。
この計画で行こう。
二十四歳の元の私がどうなったのか。知る方法はないし、私は現状を最善に生きるしかない。随分若返っちゃったから、やっと抜いた親知らずがまた心配。
でもその前に。
(和食が食べたいよう~~。ジャンクも恋しい……)
私は、食文化が変わると慣れないタチだった。
はじめは感動していた公爵家の豪華な食事も、数日で辛く変わった。
私が前世を思い出したきっかけは、階段から落ちたのが原因だったようだ。
王城に出向いた日、高い階段から転がり落ちたのだとか。
詳しい経緯は知らない。
昏睡したまま公爵邸に運ばれ、目を覚ました私は、混乱のあまり挙動不審。
公爵家でエリシアは、とても大切にされていたらしい。
周囲は戸惑いながらも、私を第一にと労わってくれた。事故のショックが大きかったのだろうと受け取って。
食欲も落ちて塞ぎ込んでた私を気遣って、お屋敷の人たちはいろいろ奔走してくれた。
だけど当然、日本食はなく。
異世界モノでは転生者自ら、お米をはじめ、現代の食べ物を再現している。
なのに作り方を知らない。
検索頼みだった生活は、私にレシピという知識を貯蔵しなかった。
(とりあえず漬物くらいなら、イケるんじゃない……?)
かくしていろんな食材を、塩やらお酒やらお酢やらに漬け込み始めて、早半年。
作業用にと小屋も用意して貰い、空いた時間はここに詰めた。
うっかり夢中になって、殿下と婚活を放り出してたら、今日いきなり押しかけられたというわけだ。
すっかり忘れてた婚約者殿に。
ちなみに以前のエルシア・ウェルテネス公爵令嬢は、宝石やドレスやお花が大好きな、ちょっぴりワガママなお嬢様だったらしい。
ごめんね私、お花は好きでも、食べれるお花の方が好きで。
◇
「それ、美味いのか?」
私がかじる塩ニンニク、殿下も気になるみたい。
「まだ漬けて数日ですから、完成まで一か月はかかるかと。熟成したら、赤茶色になるはずなんですが……」
「じゃなんで開けたんだ」
「小腹が空いたから」
「…………。お前は本当にエリシアなのか? 俺の前でニンニクを食べるなんて」
旧エリシアは、殿下には飾った自分だけを見せてきたらしい。臭いニンニクなんて、有り得ないわよね。一応紅茶を飲むことで、ニンニクのにおい成分を減らしてるものの。
ニンニクには紅茶。これは、ニンニクの翌日も出社という夜に使ってた対策方法だった。
そんな平凡な私が、よりによって悪役令嬢……。むむぅ。
「エリシアでなければ、こんなに困りはしなかったのですが……」
「???」
ほうっ、とため息をつく私に、殿下が何とも言えない目を向けて来てるんだけど……。
あっ、そうだ! いま良い機会じゃない?
「殿下! 殿下はミュゼット嬢を将来のお妃に、お望みなんですよね?」
「ん? あ、ああ。──周りが何と言おうとも、こればかりは譲れない。自由でおおらかなミュゼットは、俺の心の安らぎなんだ」
婚約破棄物語の王子は、大抵そういうよね。貴族社会の型にはまらない令嬢が新鮮だって。
公爵令嬢としての素養をみっちり叩き込まれている私は、範疇外なのだ。
記憶は混ざっても、身体は礼法を覚えてる。
「なら私との婚約は解消しましょう! 穏便に!!」
「なっ!? 何を言い出すんだ! 家同士が決めた約束だぞ」
そこはわかっているらしい。
「私に家格が釣り合う恋人が出来れば、父も納得すると思うんです。だって殿下にも恋人がいるんですもの。殿下も"真実の愛"を無理やり押し通そうとすれば、きっと王子としての自覚を問われて破滅するから、そこを私が協力します。殿下は、私の新しい婚約者探しにご協力ください」
「ふむ……」
腕組みしてしばらく考えていたロデイル殿下は、最終的に私の案に乗ってくれることになった。
ふたりで契約のための項目を、紙に落とし込んでいく。
契約書の完成だ。
期間は、私が良い夫を見つけられそうな時間を考慮して設けた。
「では、半年後に円満な婚約解消をいたしましょう。殿下、ここに署名を」
殿下がちらちらと私を見ながら、名前を書く。
こうして。公爵家長女である私、エリシア・ウェルテネスは今日、婚約相手である第一王子ロデイル殿下と秘密の契約を結んだ。
月のきれいな夜だった──。
最初のコメントを投稿しよう!