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3.微かな疑惑
◇
「エリシア! ミュゼットから聞いたぞ! 藁を集めて呪いの人形を作っているそうだな!!」
「殿下っ、せめてノックぐらいなさいませ!」
ロデイル殿下は、すっかり秘密基地の常連になっていた。
王子業は暇なんだろうか。
私はそれなりに忙しい。ほぼ終わっているけれど、王子妃教育も組み込まれている。これ、早くミュゼットに施さないとヤバイんじゃないかなぁと思う濃厚さなんだけど……。
礼儀作法はともかく、貴族の序列とか、挨拶の順とかが紛らわしい。人の顔と名前覚えるの苦手なのに。
「ああ、悪い」
パタン、と閉じてノックからやり直してる。
開けた後で遅いわ!!
「──どうぞ」
「エリシア。ミュゼットから呪いの人形を作っていると聞いた」
「ミュゼット嬢は呪いの嫌疑がお好きですね……。人形は作っていませんが、燻製を作ろうとは思っています」
「燻製?」
「そう。桜によく似た木を見つけたので、チップを作らせたのです。ナッツやチーズに香りをつけて楽しもうと思って」
「ほう? で、いまやっているのは何だ」
「バターを作っています」
会話しながら、小瓶を限りなく振り続けている。
テーブルの上にはパン。
これに出来たてフレッシュ・バターを乗せて食べるのだ、お夜食に。
そう、またも夜。
夜しか時間が空いてないんだから、仕方ない。
そして毎夜のように訪ねてくる王子殿下。
もう世間の噂を聞くのが怖い。すごい親密なように囁かれている。
ミュゼット嬢、怒らん? 恋人にもっと気を遣ったほうが良くない?
「それを振るとバターが出来るのか? 棒でかき混ぜるのではなく?」
「そうです。密閉した容器に動物由来の生クリームを入れて振り続けると、バタ―が作れます。寒いと時間がかかりますが、今日はあたたかいので、わりとすぐ出来るかと。召し上がります?」
切ったパンを先に出すと、感慨深げに殿下が眺める。
「──パンを見ると、ミュゼットを思い出すな」
「彼女とパンの思い出があるのですか?」
「俺たちの出会いがパンだった……。朝急いでいたミュゼットは、朝食のパンを咥えたまま角を曲がり、俺とぶつかったんだ……」
「いや、昭和か!!」
反射的にツッコんでしまった。
そんな古い少女漫画なシチュエーション、リアルで聞くとは思わなかったわ。
なんでそれで惚れたの? 逆にすごい。
「ショーワカ?」
「こほん。お気になさらず。あ、バター固まりましたね」
「こんなに小さいのか?」
器に出した白い塊に、殿下が目を見張る。
そうなのよ。労力のわりに少しだから大変なの。
「貴重なので、味わって食べてください」
言いながら、分離した液体をコップに移すと、くいっとあおった。
「あっ!!」
「っ。何か?」
「俺はそっちを貰ってないぞ」
(ええ~……)
「これは別に、美味しくはないですよ……? 美容には良いですが……」
「美味しいかどうかは俺が決める。飲んでもないのに、判断は出来ん」
駄々っ子なの?
コップに注いだので自分が貰えると思ったのね。
(全く王子様育ちなんだから)
私は再び新たなバターを作り始める。
もともと一人用だったし、少なかったから。
(くぅぅ、殿下のせいで私が腱鞘炎になってしまうわ)
無言で瓶を殿下に渡すと、彼は大人しく振り始めた。瓶振り役、交代だ。
シャカシャカしながら話題が移る。
「──燻製は、いつ作るんだ?」
「まあ! また来るおつもりですか? なら条件があります」
「! 本性を現したな。何を要求するつもりだ」
「ベーコンを持ってきてください」
「ベーコン??」
「燻製して食べたいです。王室で育成してる、特別な豚がいますでしょう?」
「あ、ああ、そういえば」
王家直属の広い牧場で飼育している豚。
脂肪の融点が低いので、焼いて旨味が広がると、ジュワッと国宝級の美味しさがする。
もともと燻製なベーコンをさらに蒸し焼くことで、その味は更なる高みに上るのだ。それを、高級ベーコンでやる! 天元突破の味に違いない。
「……良いな」
「良いでしょう」
ふっふっふ、と、私たちは笑いあう。
こういう時、育ち盛りの殿下はノリが良くて好きだ。
藁は燻製の時に使うのだと話すと、殿下はあっさり疑念を解いた。
小屋の隅に買い付けた、良い藁を積んである。
「でも……。ミュゼット嬢はどうして私が藁を買ったことをご存知なのでしょう?」
「確かにそうだな。ミュゼットは、お前の動向に詳しいようだった……」
やだ、ストーカー?
余計な恨みを買う前に、さっさと婚約解消しなくちゃ。
「そうだ。殿下、今度の夜会では、お約束通りお願いしますね!」
「約束?」
「ほら。私の新しい婚約相手を見つけてくださるという」
「あ……! ああ、そうだったな」
「忘れてましたね? 契約なんですから、果たしてくださいね」
私も殿下とミュゼット嬢が結ばれるよう、バックアップしなくちゃ。
(……どんなことをしたら良いのかしら……)
私はミュゼット嬢について、何も知らない。
さる高貴な方の口利きで、男爵家の養女になったということくらいしか……。
(高貴な方って誰だろう?)
サポートのためにも、彼女について調べてみたほうが良いのかも。
そう思っていると、殿下が声をあげた。
「エリシア! この水、すごくマズイぞ!!」
いつの間にかふたつめのバターを作り終え、残った水を飲んだらしい。
「だから美味しくはないと申し上げたではないですか! ちょっと待っててください。ハチミツとレモン汁を足せば、マシになりますから──」
ロデイル殿下の世話を焼きつつ、その夜も更けたのだった。
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