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6.新しい契約
◇
「こんな話をすると、エリシアは驚くかも知れないが……」
日を変えて、私たちは会っていた。
殿下が淡々と語る。
「ミュゼットは、ヘルガが用意した娘だったらしい。俺が好みそうな娘を男爵家に迎え入れさせ、俺に近づけた」
「なんと!」
ヘルガというのは、バネスト元伯爵夫人のファースト・ネームだ。
「驚かないのか?」
「今、驚いたじゃないですか。それで"さる高貴な方の口利きで養女になった"という噂が出ていたのですね」
高貴な方=伯爵夫人というわけだ。
よほどウェルテネス家と殿下を切り離したかったらしい。
そんなことしなくても、私は殿下と別れるつもりだったのに。
「じゃあ、ミュゼット嬢はいまどうしてるのですか?」
「彼女は、牢の中だ」
「!?! な、なんで??」
王子を誘惑しようとしただけで、捕らえられるの?
それともバネスト伯爵夫人の関係者だから? そんなシビアな。
「ウェルテネス公爵から……、父君から聞かなかったのか? エリシア。王城の階段でお前を突き落としたのは、ミュゼット。彼女だったらしい」
ギリ、と殿下が奥歯を噛む。
「!!」
「バネスト伯爵夫人からは俺の陥落を急ぐように命じられ、けれど成果が上がらない。王城に呼び出され叱責を受けた日、お前が目の前に居たから、思わず犯行に及んだと……。そう自白した」
うわぁあぁ……。
一歩間違えれば、大怪我か死んでたよね、私。
事実、一度死んだのかもしれない。それで前世を思い出したのだから。
ん? 成果が上がらない?
殿下はミゼット嬢にベタ惚れで、十分すぎるくらい骨抜きにしてたのに?
「ウェルテネス公爵は激怒していて、しかもミュゼットはお前を呪っていたもんだから"絶対に許さない"と息巻いている。俺も同じだ。彼女に未来はないだろう」
「の、呪い……!!」
「おい、大丈夫か?!」
「呪いはご法度じゃないですか」
「その通りだ。エリシアが藁を買ったことを知っていたのも、自分が使うつもりで業者を利用したからで──」
「!! じゃあこの藁は、呪い専用の──?!」
(もう燻製、作っちゃったけどぉぉぉ?!!)
私はパチパチと燃える藁に目を落として、急いで腰を浮かす。
「慌てるな、エリシア! ただの藁に罪はないし、効力もない。ほら、燻製はこんなに美味しい!!」
「あっ、殿下! ベーコンはまだ食べちゃダメなのに!」
私たちは珍しくお日様の輝く昼に、焚火をしていた。
約束の、燻製デーだったから。
「ぐすっ。私のベーコンまで……。殿下の馬鹿……」
「す、すまない。つい」
「ついじゃないですよ、この食欲魔人。だけど、そんな裏があったなんて……。殿下にはお気の毒でしたね。生涯愛する女性を見つけたと思ったのに……」
敵の陣営で、しかも呪い師とは。失恋確定だ。
「!! お、俺は──」
「まあ、またきっと素敵な出会いがありますよ。でも、私の夫探しは協力してくださいね」
契約期間は半年。
婚約から解き放てば、殿下も良い人を見つけるだろう。若いんだし。
(ん? あれ? 殿下、何か言いかけてた?)
と、思ったら、彼が口を開いた。
「いや。あの契約は無効だ。新しい契約を結び直そう」
「どんな契約です?」
「その……。俺と結婚するという契約は、どうだろうか?」
「っはあああ???」
「なっ、なんだ、その反応は! 不服なのか?! お前の好きな黒髪だぞ」
黒髪というだけで結婚出来るなら、日本人に独りモンなど存在せんわ!!
「嫌ですよ! 殿下、約束守らないじゃないですか! 私の夫探しを手伝うはずだったのに、夜会では却下してばかりで!」
「あ、あれは! お前を他の男にやるなんて、考えられんと思ったからだ」
「生涯ひとりを愛し抜くんでしょう? 今からそんなことでどうするのです! あの時殿下はミュゼット嬢ラブだったはずなのに、気の多いことを!!」
「っつ! どうしてそんなに鈍いんだ! お前だって、恋しい相手がいるはずだろう? なんで夫探しなんかした! 当てつけか?!」
「恋しい相手ですって? どこから出た冗談ですか?」
「お前が言ったんだ! ジャンクが恋しいと!! どこの誰だ、ジャンクって。調べたけど、見つけられなかった!!」
「…………え?」
「階段から落ちたと聞いて気が気じゃなくて。落ち着いた頃合いを見計らって会いに行ったんだ。なのにお前は俺が来たことにも気づかず、窓を見ながら物憂げに"ジャンクが恋しい"と……。言ってたから、悔しくて……。それなら俺もと、ミュゼットに釣られたふりをしただけなのに……契約書に署名までさせられるし。夫探しを手伝ったら、ジャンクの正体がわかるかと思いきや、関係ないし」
待って、待って。
納得のいかない書類にサインしちゃダメでしょ? 仮にも王族が。
でも。
まさか聞いてた? 私のカップ麺への慕情を?
「ジャンクとはもしや、食べ物の……ジャンク・フードのことでは……?」
確かめるための声が震える。
「食べ物の、ジャンク・フード? なんだ?」
「そういう概念の食べ物があるのです……。異国に」
「ま──った、また食べ物なのかぁぁぁ、エリシアぁぁぁ。じゃあ、ジャンクというのは男の名前ではないんだな?」
「人ですらありませんよ。そ、そんな食い意地が張ってるみたいに言わないでください! 殿下だって私のベーコン食べたくせに」
「ぐっ! 公爵令嬢がベーコンごときをいつまでも」
「それを言うなら、王子殿下がベーコンを掠め取るってどうなのでしょうか!?」
真っ赤になりながら口論を続けた私の頭の中は、別のことがぐるぐると回っていた。
つまりロデイル殿下はエリシアが──私のことがずっと好きで、生涯愛し抜きたいと言っていた相手は……!
燻製の香り燻る空の下。
私たちは新しい契約書を取り交わした。
──二年以内に(甲)殿下が(乙)私を振り向かせなければ、円満な婚約解消。でも、振り向いたなら(乙)は(甲)に嫁ぐこと。──
男爵令嬢がメインストーリーから外れたし、愛もあったから、解消理由はなくなったんだけど。
契約を守らない相手だと困るから、吟味期間は必要よね?
……十六歳だと犯罪意識を感じるから、殿下が育つまで少し待って貰うというのは、私の中だけの秘密。
―おしまい―
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