12月22日

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 物寂しいくねくねした道を走っていくうちに、光る湖面が見えてきた。どうやら、おととい紺野に出会った、あの湖に来たらしい。どんどん人気はなくなり、道の脇には背の高い芦が生い茂って目線をさえぎる。瑞希は息が苦しくて苦しくて、もう目の前が真っ白になってきた。瑞希はその芦の茂みに飛び込むと、姿勢を低くしてじっと息を殺した。  程なく、誰かの足音が聞こえてきた。茂みの間からじっと様子をうかがうと、目の前を男が足早に行き過ぎるのが見えた。いったんは男の足音が遠ざかってほっとしたのもつかの間、また反対方向から足音が響いてくる。突然瑞希の姿を見失ったので、捜しているらしかった。再び目の前を、男の足が通り過ぎる。どうやら、気がついていないようだ。瑞希はほっとして、小さく息をついた。  その時だった。  突然、瑞希は頭部に激痛を感じて立ちあがった。男が、瑞希の髪をつかんで引っ張り上げたのだ。痛みに顔をゆがめる瑞希を、男は憤怒の形相で見据えた。 「手間、かけさせやがって……」  瑞希は恐怖で声も出なかった。駅前と違い、ここは人目が全くない。今更ながら、瑞希はこちらに走ってきたバカな自分を呪った。 「少しお仕置きしねえと、理解できねえみたいだな」  男はそう言ったかと思うと、平手で思いきり瑞希の頬を殴った。乾いた音が、静かな湖畔に響き渡る。瑞希は一メートルほど殴り飛ばされて、芦の茂みに倒れ込んだ。男は倒れた瑞希の腕をつかんで立ちあがらせると、もう一度、今度は反対側の頬を殴り飛ばした。  焼けるような痛みとともに、口からも鼻からも血の流れ出す感触がして、鉄の味が口中に広がる。瑞希は震えながら、動くことも走ることもできなかった。限界を超えた恐怖に、涙すら出なかった。  死ぬのは怖くなかった。でも、痛いのがたまらなく嫌で、怖かった。こんな男に、殺されるのも悔しかった。悲しかった。瑞希は飛べない小鳥のように、声もなく震えた。  男はそんな瑞希を冷然と見下ろしていたが、彼女が観念したのを悟ったのか、にやりと笑うと、こんなことを口にした。 「許してやってもいいんだぜ」  瑞希は恐る恐る顔を上げた。男は勝ち誇ったような、ゆがんだ笑みを浮かべている。 「今ここで、シャブをやればな」  瑞希は息をのんだ。男は手にしていたカバンから注射器(ポンプ)やライターを取り出すと、何やら袋に入った薬らしきものを準備し始める。 「俺に逆らわねえって証拠を、今ここで見せるんだ」  そもそもこの男は、瑞希をシャブの販売役として育てるように組の幹部から求められていた。それにはまず、簡単に抜けられないくらいシャブ漬けにしておかなければならない。中途半端な状態で野放しにしておけば、いつ警察にたれ込まれるかわからないのだ。一刻も早く薬漬けにしてしまわないことには、自分の身の安全が守れないわけで、ある意味、この男も必死だった。  瑞希はそんな男を震えながら見つめていたが、口をついて出た言葉は、瑞希自身、思いがけないものだった。 「……いやだよ」  男は眉を上げ、驚いたように瑞希を見下ろした。
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