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 奈緒が出したお茶で唇を湿らすと、久保民代は神妙な面持ちで口を開いた。 「奥様……坊ちゃんが悲しむようなことは、おやめください」  奈緒はドキリとした。苦し紛れの言葉が、口をついて出る。 「悲しむって……?」  民代がじっと奈緒の目を見据える。とぼけないでと、目が語っている。 「坊ちゃんはご存じですよ。奥様と、安藤さんの関係を」  奈緒の瞳が動揺で揺れる。 「ひと月ほど前です、坊ちゃんから相談されて……私はまさかそんなと、はじめは思いました」  ごくりと生唾を飲む。 「でも坊ちゃんは、すっかり付き合いが悪くなった安藤さんを不審に思って、あるとき後をつけたら、奥様が彼のアパートに入って行って……」  奈緒は民代と目を合わせることが出来ず、テーブルの一点をじっと見つめた。 「その後も、安藤さんがこの家に入って行く姿を目にして、次の日に本人に訊いたら、(しら)を切ったって……それで、一人で抱えきれずに、私に相談してきたのです」  いわれてみれば、真紗也の口から健斗の名前を聞かなくなっていた。母親でありながら、息子の友情に(ひび)を入れてしまった。取り返しがつかない過ちを犯したと初めて気づいたが、もう遅かった。 「坊ちゃんの話が半信半疑だった私は、興信所を頼りました。まさか奥様がと、信じたくなかったんです。でも……」  民代はトートバッグから書類袋を取り出し、テーブルに写真を並べた。  この屋敷や真紗也のアパートに出入りする二人や、アパートの玄関扉の前でキスをする姿。否定のしようがなかった。 「奥様。私は奥様に安藤さんとの関係を絶っていただければ、それで結構です。騒ぎ立ててこの家を壊そうとか思っていませんし、旦那様にもだまっておきます。私の願いは、坊ちゃんの幸せ。ただそれだけです」  母親の自分よりも健斗の幸せを願う民代に、奈緒は返す言葉がなかった。
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