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この日は真紗也を夕食に招待していた。
奈緒は朝から落ち着かず、俊之と健斗が外出すると、紀伊國屋に買い出しに出かけた。先日、真紗也が謝りにきたときにLINEを交換し、好きな食べ物は聞いている。今夜はお腹一杯に食べてもらおうと、腕をふるった。
テーブルを彩る料理に真紗也は目を輝かせて、一口ごとに「おいしい」と言ってくれた。久しぶりに手料理を褒められて、奈緒は上機嫌だった。
和やかな夕食だったが、俊之の一言で空気が一変した。
「真紗也君、T O E I Cで九百点は立派なもんだよ」
俊之が感心したようにうなずく。
「ありがとうございます。でも、たまたま調子がよかっただけです」
「いや、努力の賜物だろう。なあ健斗」
「うん……そうだね」
「健斗は受けなかったのか?」
「うん、タイミングが合わなくて……」口ごもる。
「うちの会社はT O E I C必須なんだが、社員の意識が低くてな。困ったもんだ」
健斗を無視するように、俊之が続ける。
「英語力は今やベーシックなスキルだ。真紗也君もそう思って語学を磨いているんだろ?」
「はい。国内市場は縮小する一方ですが、ネットの力で海外展開すれば市場は無限です。ただ、その壁が英語です。日本経済が息を吹き返すためにはグローバルな展開が必須で、英語力はそのための基本だと思います」
「うん、まったくだ」俊之が深くうなずく。
「健斗、おまえには一流の家庭教師つけてるんだから、もっとやれるだろ」
「はい……」
健斗はぼそりと「ごちそうさま」というと椅子から腰を上げ、食卓を離れた。
「まったくあいつは……」憮然とグラスを傾ける。
「あなた……健斗もあの子なりに頑張ってると思うわよ」
俊之が不満げに奈緒を見やる。
「そんなことじゃ勝ち組になれんだろ。専業主婦のお前に何がわかる」
ぴしゃりと言い放つと、俊之は不愉快そうに椅子を引き、リビングからいなくなった。
「ごめんね真紗也くん……せっかくきてくれたのに……」
腕によりをかけた料理が、半分以上テーブルに残ったままだ。
奈緒はうつむいて、涙をこらえた。
「気にするのやめましょう」
真紗也は立ち上がると広いテーブルを周って、奈緒の隣に腰を下ろした。奈緒の背中にそっと手を添える。
真紗也の優しさに、奈緒は涙をがまんできず、嗚咽を漏らした。
真紗也の手のぬくもりが、奈緒の冷えた心に沁みていった。
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