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「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
空からライトが降り注ぎ、俺を照らし出す。大歓声がサッカースタジアム中から上がる。
それに応えるようにして、手を上げる。𠮟咤激励を飛ばすサポーターの声が聞こえる。反対に罵声を浴びせてくるサポーターの声も聞こえる。いつものことなので、もはや気に留めることはない。
「また、ここで会えたな」
目の前の人物に目を向ける。そこには父がいた。父が俺に向けて手を差し出している。
その手は、小さい頃に握っていたような若さはなかった。皺が目立ち、紙を丸めたみたいにくしゃくしゃだ。
だが、老いは感じない。むしろ、力強さを感じる。それは激しい戦いを傷だらけになりながらも、勝利してきた者の手だからだろう。俺にはまだ、その力強さはない。
俺は、その手をしっかりとつかんだ。
瞬間、四方八方からカメラのシャッターが切られる。眩いフラッシュの光に父と俺はのまれる。
けれど、父の手の熱だけははっきりと感じることができた。
涙が胸の内からせり上がって来るのを感じる。
やっとだ、やっとここまで来ることができた。
ようやく、あの日、父と交わした約束を果たすことができる。
俺は二十五歳の時、サッカーが盛んなヨーロッパの中で、最も権威のあるカップ戦の決勝の舞台に、初めて立つことができた。
ポジションはフォワード。背番号は十番。
そのカップ戦は、ヨーロッパでも主要リーグで上位三チームに入らなければ、出場権すら得ることができない、強者だけが挑める戦いの場だった。
当時所属していたのは中堅のチームだった。だから、普通はこのような場への挑戦権を得ることすら難しい。
だが、その年は、全ての歯車がかちりとかみ合った。チーム創立以来初のリーグ制覇を成し遂げることができた。更に、その勢いは止まらず、この権威あるカップ戦の決勝の舞台にまで漕ぎつくことができた。
正直、奇跡だ。この先、このチームでここまでたどり着くことはない、と断言できるほどに。
そして、更なる奇跡があった。その決勝の相手というのが、自分の父だったのだ。最も、父はプレイヤーではない。父が監督として作り上げたチームとの対戦だった。
後で見返した試合映像では、実況が感極まって泣いていた。ここまでの俺と父の道程を語っているうちに、思いが溢れ出してしまったらしい。
俺は高校卒業と同時に、スペインの二部リーグのオファーをもらい、スペインに渡った。父はそれについてきた。それが全ての始まりになった。
俺は自分の実力で、得点を量産していった。入団一年目にして二桁得点をマーク。得点ランキングでも三位に入った。
更に、その翌年には前年を超えるゴールを決め、得点ランキングでも一位を勝ち取った。
その活躍を目にした、イングランドの一部リーグの中堅クラスのチームからオファーをもらい、イングランドに渡った。これがカップ戦決勝到達時の所属チームになった。この際、父ももちろん一緒についてきている。
しかし、ここから俺と父の進むべき道が変わっていく。
父はスペインで監督業を学び、イングランドでそのライセンスを取得した。イングランドで取得したことで、ヨーロッパのあらゆる国で監督となることが可能となった。
そして、これは驚いたが、実際にオファーが届いた。さすがに監督ではなく、コーチとしてだったが。
父曰く、お前の活躍を見て、育成能力があると判断をした、とのことらしい。
それは誇らしいことだが、それは父との別れを意味していた。
父は一人、ドイツに渡った。その後は、その能力を買われ、ドイツ一部リーグの下位チームであったが、監督としてのオファーを受けた。
その間も、俺は活躍を続けた。そして、遂にリーグ制覇を果たした。
その時、父も監督として二年目のシーズンでリーグ三位に最終節で滑り込み、カップ戦への挑戦権を手に入れた。
日本でも親子対決が叶うか、と報道になるほどだった。しかし、その可能性は限りなく低いとされた。
父のチームは実力的にはドイツの一部リーグに残留できれば御の字のチーム。俺のチームも中堅クラスで、各リーグのトップチームと渡り合うには実力が足りていないのは、自分たちの目から見ても明らかだった。
でも、何が起こるかはわからないのが世の常だ。
結果として、俺と父は決勝での対面を果たしたのだ。強敵をなぎ倒し、時には奇襲を仕掛けて、勝利をもぎ取ってきた。
そして迎えた決勝。
それは歴史に名を残す激闘だった。
「いけえええええええええええええええええええええええええええええ!」
誰もが叫んだ。選手も。監督も。コーチも。サポーターも。
試合は壮絶な打ち合いとなった。相手が点を取れば、こちらが点を取り、こちらが点を取れば、相手も点を取る。まさにシーソーゲーム。
結局、両者、一歩も引かず、3ー3のまま延長戦へ突入。そこでも一進一退の攻防が続いた。
もう、精も根も尽き果てていた。体を突き動かしていたのは、ただただ勝ちたいという、飢えのような欲だけだった。
双方の欲望がむき出しになる中、勝利を収めたのは、父だった。
最終スコア5-4。
延長戦の後半、アディショナルタイム、ラストワンプレーで勝敗は決した。
しかも、ゴールキーパーのヘディングが決勝点だった。
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺はピッチの上で、今までにない絶叫をした。それぐらい悔しかった。もしかしたら、これがキャリアで最後のチャレンジだったかもしれないからだ。
そんな俺の背中に手を置いた人物がいた。父だった。
「また、ここで会おう。約束だ」
たったそれだけの言葉を残して、すぐに去って行った。
しかし、その約束は果たされることは、今日までなかった。
俺が選手生命を脅かす程の大けがを負ってしまったからだ。
「今日は、よろしくお願いします」
「よろしく」
俺と父の会話はこれだけで終わった。だが、それだけでいい。それ以上の言葉はいらない。全てはピッチで表現するだけだ。
俺と父は互いに背を向け、自分のチームへと戻っていく。
心が滾る。少し油断をしたら、興奮が全面に漏れ出てしまう。
だが、努めて冷静にいなくてはならない。激情していい立場ではないからだ。
俺はチーム全員を呼び寄せ、円陣を作った。その中心に立ち、手を叩く。
「お前ら! まずは、この舞台に連れてきたこと、感謝する! ありがとう!」
すでに、何人かの選手が涙を浮かべていた。
優しい選手たちだ。俺がここに来るまでにした苦労を知っているからだ。
「だが、俺の話はどうでもいい! 俺が求めるもの! それは!」
全員が息をのむのを感じる。スタジアムの熱狂すら聞こえない。
「勝利だ」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
刹那、選手たち全員から咆哮が上がる。スタジアムの何万人という観客から発される熱狂を超える絶叫。猛獣だって尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
これで対戦相手が逃げてくれればラッキーだが、そんなわけはない。
「いけ、お前ら! その力をピッチ上で示してこい! そして、最上の勝利をもぎ取って来い!」
選手たちが一斉にピッチへと駆けていく。互いが互いを鼓舞しながら。心が燃え盛っているのがわかる。
それを見ながら、俺はベンチに深く座った。長い息を吐く。
本当に長かった。再び、この場所に、決勝の舞台に戻って来るまでに、長い時間がかかった。
大けがを負った左足を撫でる。
もう、俺はピッチに立つことは叶わない。
もう、俺はここで自分の足でゴールを決めることはない。
だが、約束は果たした。
俺は監督として、約束を果たした。
大けがをした時は絶望した。もう、父との約束を果たすことはできないのだと。サッカーができないことよりも、まず、それが頭を過った。
俺は何か月もの間、サッカーを見ることすらできなかった。ただでさえ荒んだ心が、サッカーを見た瞬間、粉々に砕け散り、生きていくことさえ投げ出してしまいそうだったから。
しかし、ある時、病院で小学生がサッカーの話題を口にしていたのを、たまたま聞き及んだ。
その話題が、父親の率いているチームがドイツでリーグ制覇を果たした、というものだった。
日本人監督として初めてのヨーロッパの主要リーグでの優勝ということもあり、世間では大きく取り上げられたらしい。
俺はその時に閃いた。
選手としては、もう絶望的だ。仮に復帰できたとしても、もう、全盛期のようにはいかない。少なくとも、ヨーロッパでの活躍はかなり厳しいものとなる。
だから俺は決断した。サッカー選手として、あまりにも早い二十代での引退を。
仮にもヨーロッパで活躍していた選手だ。多くの日本のサッカーファンは、けがが治ればヨーロッパで多少サッカーをして、日本に戻って来ると思っていただろう。
だが、俺はサポーターのためにだけ、サッカーをしているわけではない。サポーターの応援はありがたいし、そのためにサッカーをやっていたというのは事実だ。
だが、それ以上に、俺にとっては父との約束が大切だった。
だから、決断した。監督として、父と戦う決断を。
そして、父に勝つという夢を果たすことを!
「わああああああああああああああああああああああああああ!」
スタジアムが歓声に包まれる。
俺の率いるチームが、得点を上げたのだ。いいクロスからの、素晴らしいヘディングシュートだった。ゴールキーパーは一歩も動けていない。
俺は自分のチームの得点を喜びながら、チーム全体を再度引き締める。
「ゴール直後は失点の可能性が高いぞ! 気を引き締めて守れ!」
俺は父を横目で見る。父はピッチ上を腕組みをして睨みつけていた。
考えている。探している。点を取るために何をすべきかを。
だから、俺も思考を巡らせる。父を上回るためにすべきことを。
試合の再開を告げるホイッスルが響き渡った。
~fin~
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