免許返納

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免許返納

この道を通っていたのは、買い物に便利そうだと買った軽自動車だった。 かわいいベージュのカラー。 その子ともお別れになって、私は翼をもがれた鳥の気持ちになったものだ。 ある日突然、私は病気になって免許の資格は剥奪された。 病院で渡された免許返納のしおり。 身分証としての機能しか持たなくなった私の免許は、その日を境に使えなくなって。 この道は入院している家族をお見舞いするために走っていた。 何度も何年も走っていた。 私の軽自動車は小さな鳥の様に、よくこの道を飛ぶように走っていたのに。 もうエンジンは音を立てない。 免許を返納しない高齢者を非難する目も厳しい。 私もかつて家族に免許返納を迫った。 社会の迷惑になると思ったからだ。 けれど、今度は自分の番がやって来た。 失った翼は、また生えては来ない。 心から自尊心まで失われた。 たかが免許だ。 けれど不自由になった今こそ必要な移動手段がなくなった。 タクシーを使えばいい、そう思うだろうか。 家族に乗せてもらえばいい。 でも、そうできない事もある。 それ以上に失った悲しみは、埋めがたい。 なぜなのだろう。 飛べなくなった鳥に、歩けと言うのは簡単だけれど。 私は翼を持った鳥だったのだ。 翼は心の大切な一部だったのだ。 だから、便利とか不便とかの問題だけではない。 失ったという事の喪失感は、埋め戻す事はできない。 それを社会悪として断罪するだけでは足りないと思うけれど。 誰もその事を言わないのはなぜだろう。 私は失った翼を取り戻したくて、もがいた。 買い取られて行った愛車を見送る事もできなかった。 ありがとう、もさよならも言えなかった。 目を伏せて、なかった事にした。 あなたにもいつかそういう日が来て、色んな物を失う時が必ずやって来る。 失うのは、物や許可証だけとは限らなくて。 自尊心が一緒にはぎ取られて行くんだ。 その穴を埋めるものがあるだろうか? ただ奪うだけでなく、その穴を埋める愛が欲しい。 あの道を走っていた翼を取り戻したくて。
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