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フォーム変えたか。大沢はそう言った。投球練習中の俺を呼び止めて。
誰に教わった。言いなさい。
その目は静かに俺を見据えていた。答えなど分かっている上での問いだった。
しまった、そう思った。思ってももう遅かった。何を言っても言い訳にしかならない。
大沢から教わったフォームと、父から教わったフォーム、その違いは微々たるもので、ほとんどの者がその違いに気づかないものと思われた。しかし大沢は投手出身ゆえにその微妙な違いに気づいた。
俺が答えないのも想定内のようだった。大沢はそれ以上問い詰めはせず、握りも変えたな、と言った。このほうが投げやすいか、そうだよな、おまえのお父さんは素晴らしい指導者だ、と。
その目には笑みすら浮かんでいた。いつもの大沢だった。しかしながらその目の奥にはいつもの大沢はいなかった。
だがな。大沢は言った。俺の目を真っすぐに見据えて言った。
おまえは俺の教え子だ。いいな。
俺の、のところを強調せずともそれははっきりと俺の耳に届いた。
高校名の書かれたユニフォーム。まさにお揃いだ。高校名の文字のあたりに、すっと、大沢の小指が差し出された。
約束だ、と大沢は言った。
大沢も大沢で言葉少なであった。余計なことを語らない。代わりに目でものを伝えようとする。
ルールだとも、決まりだとも、常識だとも言わなかった。ただ、俺とおまえの約束だ、と大沢は言った。
麦の匂いが近くなる。それはまさに愛着であったか、俺は確かにその匂いに愛着した。
俺の小指は自然に伸びた。そして彼の小指と絡まり合った。
その目が笑った。唇も、笑った。ああ、と俺は思った。俺はまさにこれを欲した。
その手に頭を撫でられて、俺は思わず目を閉じる。麦の匂いに包まれた。鉄が溶けたみたいになるよな、と、このあと章吾に描写されることとなる。
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