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「……っまぁまぁ……こんな……ところま……でっ。さくら……こ……さま……」
オカメ女中は僕がそうだったように、息をするのが精一杯で、なかなか喋ることができなかった。
櫻子様はすぐにオカメ女中に駆け寄り、背中をさすってあげている。
「ごめんなさい、キヌ。
ワタクシ、もう逃げませんから、どうかゆっくり息をして」
このオカメ女中はキヌという名前のようだ。
いなくなった櫻子様の代わりに僕たちにお茶を出し、櫻子様を探し迎えに来て、しかも櫻子様のキヌに対する親しげな態度をみると、キヌは櫻子様の乳母のような女中なのだろう。
僕は、使用人や女中に対して、こんな風に気遣ったことがあるだろうか?
櫻子様は美しいだけではなく、お優しいのだな。
四つん這いのように、へたり込んで地面に手をついていたキヌは、息が整ってくると、そのまま僕に向かって土下座した。
「一井様っ! 大変、申し訳もございません!
私めが少し櫻子お嬢様から離れたために、このようなことになってしまいました。
どうか、どうか、このキヌが悪いのです。
お怒りはごもっともでございますが、どうぞ収めてくださいましっ」
キヌの土下座を見た櫻子様は慌てて、土がつくのも構わず豪華な振袖の膝をつき、キヌの肩を両手で支えて、僕を見上げる。
「ワタクシが悪いのです!
一井様も、増田のおじ様もいらっしゃったのが見えて、今日のお見合いのお席が怖くなってしまったのですわ。
それで、思わず逃げてしまいましたの。本当に申し訳ありません」
櫻子様も、きれいな手を地面について頭を下げた。
さっきまで僕に「自由恋愛している」と笑っていたとは思えないほど、しゅんとして見えた。
「僕は怒ってはいません。
どうぞ、二人とも頭を上げて」
櫻子様はぴょんと頭を上げたが、まだ平身低頭(※ひれ伏して頭を下げて恐れ入ること)、手をついている、横のキヌを見て、また頭を下げようとした。
僕は櫻子様の前で片膝をついて、櫻子様に手を差し伸べた。
「さぁ、櫻子様」
櫻子様はそおっと頭を上げ、手についた土を払うと、僕の手にそっと右手を重ねた。
わぁ、小さくて柔らかい。
僕は初めて女性の手を握り、感動した。
僕と共に櫻子様は立ち上がり、キヌが着物の汚れを払ってくれた。
立ち上がった櫻子様は、赤くなってパッと手を離してしまった。
あぁ、もっと櫻子様に触っていたい。
まだ座りこんでいるキヌがつぶやいた。
「旦那様になんと申し上げればよいやら……」
うーん、そうだな……。
きっと、先程キヌから大炊御門侯爵は、櫻子様がいなくなったことをお聞きになって、増田様や、僕の父に悟られないように今頃、冷や汗をかいておいでだろう。
櫻子様のお見合い逃亡のせいで、恥なことと責任を感じた侯爵が、もしも破談にされるようなことがあってはいけない。
「先程、僕にお話しになったことは、まだ御父上には仰らないでください」
僕は櫻子様の顔を覗き込むように、少しかがんで告げる。
一度見たばかりの、どこの者とも知れぬ金髪の乗馬女性に、自由恋愛しているなど、あの堅物そうな侯爵に言っても、とても通じる話ではないだろう。
余計結婚話もこじれるはずだ。
「わかりましたわ……」
キヌの三角になったタレ目をみて、これから叱られることが現実味を帯びてきたのか、櫻子様はしゅんと伏し目がちのまま、コクリと僕にうなずき、返事をした。
さて……どうしたもんか……。
大炊御門侯爵と、増田様、僕の父が待っているであろう大広間に戻るまでに、なんとか良い言い訳を考えなければ。
僕たちは石段を下り、母屋へと向かった。
櫻子様を追いかけていた時は、遠回りをしていたのか、戻り道はずいぶんと早く着いた。
今度は縁側からでなく、玄関から上がり、キヌの先導で櫻子様、僕と続いて長い廊下や小部屋を通り、奥の大広間へとついた。
キヌはちょっとため息をついて「失礼致します」と声をかけ、障子を開けた。
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