櫻子様の自由恋愛

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櫻子様の自由恋愛

 櫻子様は、両手を頬から離し、落ち着きなく両手の細い指を、胸の前で軽く組みながら答えた。 「……存じません。  お名前も、お住まいも存じ上げませんの。  でも、馬場(ばば)でそのお方が金色の髪をなびかせながら、馬術をなさっておられるのを見て、ワタクシは心()かれてしまったのです」  え?? 知らない金髪の男?? 「まるで、西洋のおとぎ話にでてくる王子様のような、女性でしたのっ!」  ……?  女性?  女性とは……? 女の人ってことだよな??  僕は、顔を手で覆いながらうつむく櫻子様を見ながら、ようやく僕は言葉が出た。 「……女性ですか?」  僕は目が点になったまま聞いた。 「金の髪とは……? 外国人なのですか?」  覆った手を下げながら、僕を見上げる櫻子様の頬は赤く染まっていた。 「わかりません」 「……なるほど、どこの誰とは知れぬ、金髪の女性がお好きなのですね?」  僕は、櫻子様の思い人の情報をまとめながら、口にしたが、これで合っているのか違和感があった。 「楽しかった女学校を辞めてから、ワタクシは日々を家で過ごして、少々憂鬱(ゆううつ)でしたの。  それで、お父様がお乗りになるお馬を引き取りに、馬場へ()かれるというので、気まぐれにワタクシも連れて行ってくださったのです」  櫻子様は、少しうっとりとしたような様子で、両手の指先を合わせながら続けた。  顔は僕の方を向いていたが、視線の先は僕を見ていないようだった。 「陽に溶けそうな金髪を英吉利(イギリス)結び(※長い髪を後ろで一本の三つ編みにしている髪型)になさって、颯爽(さっそう)とお馬に乗られているお姿がとても素敵だったのですわ。  ワタクシ、思わず見とれてしまいましたの。  ご婦人用の乗馬服(※横乗り用の裾の長いドレス)ではなく、白い乗馬ズボンをお()しになっていて、それが長いおみ(あし)によくお似合いで……。  そして、ワタクシにお気づきになって、馬上(ばじょう)から手を振ってくださったのです!   その優雅な身のこなしにワタクシも、思わず手を振り返してしまったのですが、お父様からはしたないと叱られてしまいましたの」  ふぅっと、小さいため息をついた櫻子様。 「お父様に、その方がどなたなのかお尋ねしましたけれども、ご存知ではなくて。  外国人のような風貌と、女だてらに馬に乗っているような娘は、あばずれ(※品行の悪い女性のこと)やもしれんとお父様はおっしゃいましたけれど、ワタクシはそうは思いません」  ちょっとムッとしたような顔つきになる櫻子様。 櫻子様は表情がくるくると変わる。    どの顔も可愛いな。 「あの、お手を振られた瞬間に、ワタクシは恋におちたんですわ!  ワタクシ、自由恋愛しておりますのよ。素晴らしいことではなくて?」  無邪気な笑顔になる櫻子様を見ながら、僕は考えた。  櫻子様は、思ったよりも子供っぽいところがあると思う。  僕との結婚の話が出て、自由に外出もできず家の中で花嫁修業をしながら過ごしていたのだろう。  学校も途中で辞めさせられ、息抜きもできないような窮屈(きゅうくつ)な日々のなかで、その金髪の女性に恋をしているというよりは、不意に自分とは全く違う女性をみて、憧れているだけなのではないだろうか? ……僕はそう思いたい。  しかし、笑顔はますます可愛いな。 僕は、頭の中では櫻子様の可愛さを噛みしめながらも、(ほお)が緩まないようにまじめな顔つきで、聞いてみた。 「そんなに僕との結婚は嫌なのですか?  お着物もこの日のために(あつら)えたのをお()しなのではないですか? 櫻子様は本当に今日のお見合いの席がお嫌だったのでしょうか?」  僕もこの学ランをこの日のために誂えた。  僕は櫻子様と会えるのを楽しみにしてきた。 「ワタクシは……」  笑顔が消え、少し困ったような目で見る櫻子様の言葉を(さえぎ)るように、低い女性の声が聞こえた。 「櫻子お嬢様っ!」  オカメ女中が、石段を息を切らせながら上ってきて叫んだ。  櫻子様は、「キヌ……」とつぶやき、とうとう観念したという顔をした。
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