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目的の馬場へ
その日は午後から休みで、僕と青木は一旦僕の家に行き、青木も僕の家で軽く昼食をとった。
久しぶりに青木を連れてきたもんだから、女中たちは色めき立ち、誰が青木のお茶のおかわりを注ぐかを奥で言い争っていた。
あまり人前にでない母もめずらしく出てきて、ニコニコと青木と僕を見ている。
「久しぶりにこちらへ参りましたが、世津子様はいつまでもお美しいですね、ボクびっくりしましたよ」
「まぁ、そんな……」
青木のお世辞を真に受け、母も嬉しそうに微笑んでいる。
青木は僕の母を名前で呼ぶ。
美しい方は名前で呼びたいと、ずいぶん前だが話していた。
その時は、青木の女ったらしは生まれつきなんだなと思うだけだったが、僕も少なからず影響を受けているのか、そういえば櫻子様のことは名前で呼んでいる。
もっとも僕は、櫻子様が本当に美しい方だとわかる前から櫻子様と呼んでいるが。
騒がしい昼食が終わり、僕と青木は自動車で目的の馬場へ向かった。
そういえば、櫻子様は給仕してくれた使用人などにも、いちいち「ありがとう」とお礼を言っていたな。
僕は、使用人や女中は、僕の世話や家内のことを仕事としているから、何をやってもらっても当たり前のことだと思って、お礼なんて言ったことはない。
……櫻子様と一緒に暮らすようになったら、そんな態度は傲慢に映るだろうか?
よし、僕も使用人にお礼を言うようにしよう。
目的地に着くと、運転手がすばやく運転席を降りて、後部座席のドアを開けた。
「どうもありがとう」
車を降りるときに、僕はちょっと照れて小さめの声で言った。
運転手は、一瞬の間のあと、
「……えっ、えぇっ? 坊ちゃん!!?」
と声を上げて驚いて、そのあと涙ぐんでいた。
僕がお礼をいうのは、泣くほど珍しいか事かっ。
僕と青木は、白い手袋で顔をぬぐっている運転手を残して、馬場の厩舎のある方へ歩き出した。
「本名はわからなかったが、その金髪美女は『金色の王子様』と呼ばれているらしい」
青木がそう話していると馬場の柵の向こう側で、袴姿の女学生と思しき女性たちが、5~6人ほどできゃあきゃあと騒いでいる。
なぜ、こんな馬場に女学生が?
と思ったが、理由はすぐにわかった。
僕たちのお目当てでもある『金色の王子様』が白馬に跨り、馬術の稽古をしていた。
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