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僕の好みは
「お前のお相手は、清華家のお家柄で侯爵家、大炊御門家のご令嬢、櫻子様だ」
父もイギリス仕込みの所作で、ティーカップを持ちあげ紅茶を飲んだ。
清華家といえば、由緒正しき公家の家格。
世が世なら、櫻子様は家の奥で、物静かに暮らすお姫さまだ。
「櫻子様は、結婚するなら女学校も辞めてくださるそうだ。(※当時、結婚のために女学校を中退する人もいた)
藤孝との年の差もちょうど良い。なんといってもお家柄が良い」
快活に笑う父の話を、僕も紅茶をちびちびと口に運びながら聞いていた。
僕は普段、女性と接する機会がほとんどない。
初等学科(※現在の学習院初等科で華族しか通えない小学校)の頃から、学友は男子ばかりであるし、家には女中は何人かいるが、使用人なので「女性」としては見ていない。
母は、まぁ女性ではあるが、「母」以外の何者でもない。
そして、僕は少し母が苦手であった。
神経質なところがあり、僕に干渉しすぎるところがある。
昔は朗らかであったと聞いたことがあるが、今はあまり笑ったところを見たことがない。
女性といえば、友人の青木 充次郎は、どこで知り合ったのかわからないが、女子と一緒に、カフェーや甘味処に時々行っているらしい。
青木は旧武家の子爵家で、3人目の奥方様の末息子。
大変甘やかされて育っている。
要領の良い青木は、勉学も運動もでき、男の僕から見ても容姿が華やかだ。
学帽から少しウエーブのかかった髪を出し、彫が深く、切り込んだような二重瞼に優し気な瞳。
口元は、自然といつも口角が心持ち上がっており、常に微笑をたたえている。
そんな顔の青木が、流行りの擦り切れた詰襟(※学ラン、学生服のこと)に、マントをなびかせ、高下駄を鳴らしながらのバンカラ姿で街を歩くと、とても粋に見える。
青木を見た女性たちが、向こうの方で頬を染めて、ひそひそと何か話あっているのは、もう見慣れた光景だ。
僕もバンカラにしてみようと、マネてみたが、母に「みっともない」と叱られ、バンカラはあきらめた。
僕の顔は小さく、髪も短い。
つばを上げてもすぐに目深になってしまう学帽。
そして詰襟をきちんと上まで留めて、革靴を合わせて履いていた。
いかにも「真面目な学生」の身なりで、学校の先生方からのウケはいい。
そして、青木ほどではないが、そこそこの顔ではないかと……思う。
キリリとした一文字眉に、父譲りの意志の強そうに見える眼が男らしいと、昔、自邸に来られたお客様に褒めていただいたことがある。……お世辞だったかもしれないが。
背丈も5尺8寸(※約175㎝)もあり、すらりとした肢体に洋装がよく似合う。(これもお客様に褒めていただいた)
軟派な青木から、芸者遊びに誘われたことがあったが、清廉潔白な母には、とてもじゃないが言えない。
まじめで女に触れたこともない僕が、男を誘惑するのが仕事のような遊び女の、手練手管に弄される(※人をだまして、もてあそばれること)のが恐ろしかった。
青木はそんな僕に「子供だなぁ」と、きれいな顔でニヤニヤしていたが、その代わり、3枚の春画(※昔の性風俗画)と、肌襦袢(※着物の下着)姿で太ももがあらわになっている女の写真を1枚くれた。
僕がその4枚をどこに隠して、何に使っているのかは秘密にしておく。
とにかく女は、母のように陰気でなく、遊び女のように卑猥さのない、清楚で穏やかな明るい子が好みだ。
そういう女性とは話したことはないが、僕の好みは、きっとそうだと思う。
春になったら僕とお見合いし、結婚することが決まっている櫻子様。
由緒あるお家柄の、お姫様ならば、たぶん僕の好みのご令嬢だ。
そうであるに違いない。
突然の僕の結婚話にまだ実感はないが、『女子』に触れることが出来る未来がもうすぐくることに、内心湧き上がるものがあった。
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