ピカピカの学ラン

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ピカピカの学ラン

 お見合いまでの約3か月ほどの間に、父は背広(せびろ)(※スーツ)と靴を新調し、僕は学ランを新しく仕立てた。  僕も背広が大人っぽくていいと思ったのだが、母が学ランでのお見合いを勧めた。   「(たか)ちゃんは詰襟(つめえり)(※学ラン)が一番よく似合うのですから、お相手方にも印象がよろしいと思うのよ」  孝ちゃんとは僕のことだ。  母は、子供のころからの呼び方を変えてくれない。  さすがに少々気恥ずかしいのだが、それを言うと母の機嫌を損ねてしまうので、そのまま呼ばせていた。  母は旧藩主の家柄の出身で、お嬢様育ちである。  嫁いできた頃は、明るい性格だったそうだが、僕の兄にあたる息子2人を立て続けに亡くした。  また、僕が生まれてすぐに3年ほど、夫である僕の父がイギリスへ仕事に行ってしまい、すっかりふさぎ込んでしまったそうだ。  幼いころから、ほとんど僕の世話は乳母に任せていたが、何かと口は出してくる。  だいたい何かを禁ずることが多かった。 「身なりはきちんとしていなくてはダメ」 「コオラ(※コーラ)は頭が悪くなるから飲んではダメ」 「あのお(いえ)のご子息は不良だから仲良くしてはダメ」  どこから聞いてくるのか、学業の成績が良くないとか、遊廓に出入りしているとかの噂を聞いて、僕が仲良くする学友にまで口を出してくる。  いま僕と一番仲の良い青木は、家柄の良さで母も安心している。  青木は要領が良く、末っ子気質の器用さで、母の信頼も得ていた。 「青木さんと仲良くするのは、よろしいことですわね」  実は、女子とも遊び歩いている不良であるというのに。  僕も青木くらいのずる賢さがあれば、母の「ダメダメ」もかわして生きてこれたかもしれないが、僕は素直に従っていた。  その方が、母の不機嫌さに振り回されることなく、平和にうまくいくからだ。  そうは言っても取り立てて、母に反発したいとも思ったことはないし、母も僕のことを思ってくれてのことだろうと、感謝して「ダメダメ」を受け入れている。  新品の学ランなど、あと半年で卒業の僕には恥ずかしいのだが、お見合い用として(あつら)えた。  わざと制服を痛めつけたりして、着崩しているバンカラが流行っている今、真新しい学ランは野暮ったく思われないだろうか……。  仕立て屋が採寸から行い、ピカピカの学ランが出来上がってきた。  お見合いの日は4月初旬の日曜日に決まった。    僕のお嫁さんはどんな子なんだろう。    青木にお見合いと結婚のことを話すと、いつものからかうような笑みを浮かべて、 「とんでもないオカメかもしれんぞ」  と、僕のお嫁さんを冗談でも不美人呼ばわりしたので、青木とはしばらく口を聞いてやらん!  しかし、写真もなく、どういう容姿なのかもまったく聞いていないので、僕は想像するしかなかった。    きっとかわいい子に違いない。  でも、好みじゃなかったらどうしよう……。    ドキドキするような、不安なような日々を過ごして、ちょっとお見合いの日が楽しみになってきていた僕だった。     女性と接するには、どうしたらいいのだろう?  なにか失礼があったら、機嫌を損ねてしまうだろうか?  やっぱりここは、女性慣れした青木によく話を聞いておこう。  僕はたやすく絶交宣言を撤回し、「青木センセイ」に女性のことについて色々と伺った。  ただの猥談(わいだん)のようになってしまったのは……。  先生が青木なのだから、まぁ、仕方ない。  僕は、時々目元をだらしなく緩ませながら、女性についての「講習」を受けた。  こんな話を青木としているなんて母が知ったら、ひっくり返るだろうな。
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