見たことない父の赤面

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見たことない父の赤面

 頭を下げていた撫子(なでしこ)さんは、ガバッと髪を揺らして顔を上げた。 「……えっ、どういうことですか?  だって、藤孝様が大人になられるまで、お(めかけ)であるお母様とその娘の(わたくし)の存在を隠しておかないと、お母様だけイギリスへ帰らなければならないのでしょう?」  僕の母は少し左上を見ながら、右手を口に当てて記憶を思い出すようにして話した。 「……たしかに、わたくしは(たか)ちゃ……藤孝が物事のわかる大人になるまでは、アメリアさんや撫子さんのことは伏せておくつもりでしたわ。 でもそのことが分かったからといって、アメリアさんだけイギリスへお帰りいただくなんてお約束、いたしましたかしら?」 「セツコさまがナデシコをあずかって育てると言われて、ワタシに帰りなさいと言われたのです。  ワタシがそれはイヤですと言ったら、フジタカが大きくなるまでは、ヒミツにしておきますと言われて……」  アメリアさんを見ながら、母はゆっくりと(うなず)く。 「……そうですわ。当時わたくしは、息子を二人も亡くしてしまって、悲しくてかなしくて、泣いてばかりでした。  主人は、そんなわたくしにもいつも優しくしてくれましたの。  でも、わたくしはその優しさを受け入れるだけの心がなく、主人はとうとうわたくしに愛想をつかして、イギリスへと行ってしまわれた。  わたくしのことを大事にしてくださっていた主人を、大事にしなかったのはわたくし……心変わりをなさっても仕方がないと、わたくしは自分にいい聞かせましたわ。  主人がいない間、わたくしは孝ちゃんを死なせないように大事に育てましたわ。そして孝ちゃんが、立派にこの一井家を率いていく存在となれるように、厳しくしつけました。  そうして、3年ほどたって帰ってきた主人は、アメリアさんと撫子さんを連れて帰ってきましたの」  母は静かに話した。そして、父が(つら)そうな顔で母に言った。 「すまない、世津子(せつこ)。私もあの時はとても辛かった。  二人の子を失い、また妻である世津子が泣いているのを、どうしてやることもできない自分が不甲斐(ふがい)ないと思って自分を責めていた。  しかし藤孝が生まれて、ようやく少し世津子が笑顔を見せてくれるようになって、私は少し安心したんだ。  そして、かねてから話のあったイギリスへと向かったが……今思えば、少し世津子から離れたかったのかもしれん。  いや、それもひどい話だな。  妻を大事にしないで、逃げただけの男だ。  私の心が狭量(きょうりょう)であったのだ。今更だが、辛い思いをさせてすまなかった」  母は静かに首を横に振って、目を伏せた。 「いいえ、あなた。  わたくしは、アメリアさんがあなたの心を癒してくださってありがたく思っておりますのよ。  あなたは今でも変わらず優しくしてくださいます。  でも、わたくしの卑屈(ひくつ)な気持ちが、アメリアさんよりもわたくしが劣っているからアメリアさんを日本にお連れになったのではないのかしらと思うと、気持ちが荒れてついあなたへも孝ちゃんへも冷たく当たってしまうのです。  わたくしの方が狭い心ですわ」  アメリアさんが、ブンブンと首を横に振って、その振動で豊満な胸も揺れた。  僕は思わずその揺れに目を引きつけられた。 「フジムネは、いつもセツコさまのことをほめてます。『あんなに出来た妻はいない』と言って。  ワタシはそう言われるとjealousy(ジェラシー)……えっと……シット? してしまうの」  母とアメリアさんはお互いに目を見合わせ、フフッっと笑いあった。  増田様がニヤニヤとして「藤宗(ふじむね)君はいつまでたってもモテるなぁ」と、隣に座っている父の肘をつついている。  父は、僕が見たこともないくらい顔を赤くして小さくなっていた。  僕にダメダメとばかり言っている母が、辛い思いもしながら僕を育ててくれたことを初めて母の口から聞いた。    僕は母へ孝行しなければならないなと思った。  よし、今度本当にポークカツレツを食べに、煉瓦亭(れんがてい)へお連れしよう。    そして、また母が口を開いた。
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