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撫子さんへの憧れ
母はまた、撫子さんを見ながら話はじめた。
「撫子さんも、主人の大事な子ですから、一井の家で育てた方が、撫子さんのためになるのではないかと思って、アメリアさんに撫子さんをお預かりすると言いましたが……。
泣いてそれだけは嫌だと反対なさるアメリアさんを見て、わたくしは子どもを亡くした時のことを思い出しましたの。
その時、母であるアメリアさんと引き離すなんてひどい考えだったと改めましたわ」
撫子さんが信じられないといった風に、青い目を見開いた。
「奥様はなんてお方なのでしょう……妾である母や私にもお優しいなんて」
母は撫子さんの方を見て、少し微笑む。
「アメリアさんの方が、わたくしよりもずっと前から主人のことを思っておられたのですよ。
お見合いでわたくしと主人は結婚しましたけれど、アメリアさんのことはお妾という気がいたしませんの」
結局話がそれてしまったが、僕は気になっていたことを母に聞いてみた。
「あの、母様。
僕にお二人のことを隠していて、バレたらアメリアさんだけ帰国するというお約束というのは結局なさったのでしょうか?」
母も首をかしげて、眉根をよせた。
「そのことなのですが……アメリアさんと撫子さんのことは、藤孝が分別のつく年くらいになるまでは言わないでおくと、たしかにわたくしが言いました。
けれど、もしそれよりも前に藤孝が知るようことがあれば、イギリスへ帰るとおっしゃったのは……アメリアさんではありませんでしたかしら?」
え?母様が出した条件じゃなくて、アメリアさんが自分で言ったのか?
「Um……(うーん……)そうだった……かもしれない……」
アメリアさんがひねり出すような声で言った。
隣に座っている撫子さんが、青い目に力を入れて叫んだ。
「……っ! どうしてそんなことをご自分で仰って覚えていらっしゃらないのです! お母様!」
ゴホンと咳払いした父が、撫子さんに言った。
「撫子、あの頃お前のお母様は、まだ日本語もお上手じゃなかったから、話が混同してしまったところがあるのではないか? そんなに怒るな」
撫子さんは青い目を細めて、父へと冷たい目線を送りながら、そっぽを向いた。
「不埒なお父様とはお話したくありませんわ」
ひぇー、怖いなあ。
「そんなことお父様におっしゃるものではございませんわ、撫子さん」
「そんなことお父さまに言ってはいけない、ナデシコ」
ほぼ同時に二人の母が撫子さんを戒めた。
ふーっと、ため息のような深い息を吐いて、父がボソッと喋った。
「そんなに短く髪も切ってしまって……こんなにツンケンしていては、嫁の貰い手がなくなるぞ」
それを聞いた撫子さんは、父の言葉が終わるか終わらないかで敢然と叫ぶ。
「私は結婚なんて致しません!」
僕の横に座っている櫻子さんが、胸の前で指を組んで、キラキラとした黒い瞳を輝かせてつぶやいた。
「撫子様、格好いい……」
なにっ!? 櫻子さん、撫子さんのことを格好いいと言った?
くぅ! 撫子さんがうらやましい!
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