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結婚式の日取り
「櫻子嬢は、家を飛び出して一井家に来るほど早く結婚したいと、せかしているようだし、孝坊が休みに入ってからと言っていた祝言を少し早めるか?」
増田様が少し意地悪く笑顔で言って、櫻子さんも口を尖らせた。
「まぁ! おじ様。
ワタクシは大炊御門のお家を早く出たいだけで、そんな、はしたなく結婚をせかすようには言っておりませんわ」
増田様は豪快に笑う。
「では、孝坊が一高を卒業した7月に祝言を上げてはどうか?」
「そうですね。ちょうど日が長い時期ですからね。花嫁行列もまだ外が明るい時間で、夕暮れであればそんなに暑さもないでしょうし」
父も増田様の提案に同意した。
一般的に結婚式は、夕暮れ時から夜にかけて行われることが多く、近所の人も手伝って夜は大宴会になるそうだ。
自邸で花嫁支度を整えた花嫁が、人力車に乗って行列を伴って花婿の家まで来る。
白無垢姿の櫻子さんは、きれいだろうなぁ~。
「では、7月初めの大安の日に祝言がよかろう。孝坊、櫻子嬢、よろしいかな?」
僕と櫻子さんはまた顔を見合わせて頷いた。
「はい、増田様。どうぞよろしくお願い申し上げます」
増田様は、大炊御門侯爵にも、祝言の日程や結婚に関わる手配のことなどを、後ほどお伝えに行かれることを櫻子さんに仰った。
「増田のおじ様、お手間おかけいたします。よろしくお願いいたします」
あぁ~、本当に櫻子さんと結婚できるのだなぁ。
僕はさっきから櫻子さんの白無垢姿を想像しては、思わず顔がにやけてくるのを抑えきれなかった。
しかし、櫻子さんの花嫁衣装は、大炊御門家で揃えられると思うが、どんなものなんだろう。
白無垢姿や、打掛姿の櫻子さんも見てみたいが、やはり夏場は暑くないだろうか?
白無垢だと絽(夏用の着物に使う生地)で縫うわけにもいかないだろうしなぁ……。
「夕暮れといえど、やはり7月だと櫻子さんは白無垢だと暑くないでしょうか?」
櫻子さんが少し驚いたように僕を見た。
「えっ、でも結婚式には白無垢ではございませんこと?
ワタクシ、憧れているのですけれど……」
「そうだなぁ……昔、わしの知り合いが、夏の祝言で花嫁さんが汗をかきすぎて、おしろいが落ちてしまった挙句、花婿の方へ倒れてしまって花婿の紋付(※花婿が着る家紋が入った着物)にべっとりとおしろいがついてしまって大変だったと聞いたことがあるなぁ」
増田様が話してくださった、どなたかの祝言の話に、櫻子さんも困ったように「まぁ……」とつぶやいた。
僕は着物がおしろいで汚れても構わないが、櫻子さんが暑くて倒れてしまうようなことがあっては大変だ。
うーん、僕も早く櫻子さんと一緒になりたいが、時期をずらして涼しい季節に祝言をあげたほうがいいだろうか。
僕が時期をずらして頂こうかと言おうとすると、同じく考え込んでいた父が顔を上げて提案した。
「櫻子さん、真っ白な西洋のドレスはいかがですか?」
西洋のドレス!
「今上陛下(※現在の天皇=大正天皇)に倣って、日比谷大神宮(※現在の東京大神宮)で結婚式をして、そのあと家で饗応(※酒や食事でもてなすこと。この場合は結婚披露宴)としてはどうだろうか?」
「まぁ! 素敵ですわ! お父様」
櫻子さんは目をキラキラと輝かせた。
「神前へ参拝する時は白無垢にして、饗応の時はドレスになさったらいい。
神前へは朝がいいだろうから、朝はまだ涼しいうちに白無垢で、小半時(※30分)ほどで神前に結婚のご報告する。暑い最中の日中は少しお休みになって、夕方からドレス姿に衣装替えなさってはどうです?大変かな?」
「いいえ! お父様。大変ではありませんわ!
ワタクシ、ドレスは着たことございませんの。楽しみですわ~!
……あ、でも、ウチではドレスの用意をできるかしら……」
「大丈夫ですよ、私がご用意いたします。せっかく貿易の仕事もしているのでね、時には家族のためにも役立てなくては」
父はにっこりと笑った。
僕もまさか櫻子さんのドレス姿も拝めるようになるとは思ってもいなくて、思わず父に「ありがとうございます」とお礼を言った。
「可愛い藤孝の結婚だ。いくらかかってもかまわん、豪華にしような」
撫子さんのことで、父の子どもに対する愛情が、僕だけのものではないとわかったのだが、改めて考えると、実は僕、ちょっと寂しい気持ちがしていた。
でも、結婚式にいくらかかってもいいだなんて、やっぱり父は親バカかもしれない。
僕は少し寂しかった気持ちが軽くなった。
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