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大炊御門家へ
僕は寝不足のせいか、緊張なのか、今日は朝食もあまり喉を通らず、珈琲だけ頂いた。
朝食が済んでしばらくすると、式正(※正式)の、五つ紋付袴羽織姿の、増田様がお迎えにいらした。
僕の結婚の仲人である増田様は、僕のことも幼いころから可愛がってくださっている。
お見合いはもちろん初めてのことであるから、事前に母がお見合いの作法について教えてくれた。
「孝ちゃん、よろしくて?
もうほとんど決まったも同然のお話といえど、お見合いの作法がありますからね。
最初が肝心ですのよ。
後々にあちら様から『一井家は、きちんと嫁取り(※嫁を迎えること)をしてくれなかった』と言われてはダメですからね」
母によると、お見合いは、
・女性宅へ、男の方が親と共に、仲人に連れられて出向かう
・女性の家では、そのお見合い相手の女性が頃合いをみて、お茶を出しにくるが、何も言わずに退室する
・当人同士は言葉も交わさない
・女性のことをあまりジロジロと見てもいけない
・『お見合いが茶話になって流れる』と縁起が悪いので、せっかく出されたお茶も飲んではいけない
……なんだかいろいろと、決まりがあるらしい。
せっかく実物の櫻子様にお会いできるというのに、声も聞けない、あまり見てもいけないとは。
未来の僕のお嫁さんなのに。
えぇい! チラッと横目で見るくらいはいいだろう。
僕は今日、櫻子様のことを目に焼き付けるぞ!
お見合いの作法について思い出していると、増田様がニコニコと僕に話しかけてきた。
「あんなに小さかった孝坊も、もう結婚する年か!
わしも年を取るもんだな!」
恰幅のいい増田様は、朝から声も大きい。
ふくよかな体を揺らして、豪快に笑う。
「孝坊も、もういっぱしのオトコなんだろう?
え?」
なんとなく下品な響きを持って、増田様がニヤニヤとしながら僕に小声で言う。
「まだまだ若輩者ですので」
僕は、爽やかな笑みを浮かべて返した。
「いやぁ~はっはっは、そうかそうか」
また一段と声をあげて笑う増田様。
政府の仕事にもかかわっておられた、大実業家であるが、少々エロスが隠せないところが玉にキズ。
増田様が自邸においでになる時は、若い女中達は、尻を撫でられるといって、警戒している。
快活で剛毅な方で、あまり細かいことを気にされない、あっさりとした良い方で、僕は好きなのだが。
僕と父、そして増田様は、それぞれ自動車で大炊御門邸へと向かった。
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