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1、Dom/Sub。
「戸村さんは彼女いるんですか〜?」
「あはは、いないよ」
「いそうなのに意外ですね!」
上目遣いでそう話してくる新入生の異性に困りつつも笑顔で受け答えをしている。
綺麗に揃った前髪から覗かせるパッチリとした目はハッキリと悠陽を映している。彼女と目を合わせると彼女からの好意が押し寄せてくる錯覚さえ覚える。
ガツガツと距離を縮めてくる一年生に気持ちが落ち着かずおしぼりをいじる手が止まらない。
久しぶりのサークル活動が新入生歓迎会であった。半分はゆるい飲みサーと化しているこの写真サークルは、まともに写真撮影を趣味にしている人は中々居ない。そういう人こそこういう会に参加しないのだろう。
かく言う戸村悠陽も写真を趣味としている訳では無かった。昨年大学生になりサークルに入っておきたくて、誘われたから入っただけなのだ。
(もう帰りたいな……)
氷が溶けて薄くなった烏龍茶をひと口飲みながら悠陽は心の中でそう呟いた。元々写真は趣味では無いけれど、飲み会も趣味ではない。むしろ悠陽はこういった場がかなり苦手な部類に入る。
しかし、今日はとても断れる雰囲気ではなかったので仕方なく参加している。
四月になり、新しいサークル仲間が増えた歓迎会なのだからこういう時くらいは来て欲しい、と言われて断るに断れなかったのだ。悠陽と同じく普段は全く飲み会に参加しない人も今回ばかりは来ているらしい。今日を乗り越えれば今後は昨年同様、活動らしい活動をせずとも過ごしていけるのだから我慢だ。
「戸村さん、連絡先教えて欲しいです」
「……ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「え〜、じゃあ後で教えて下さいね!」
「あはは」
一年生からの猛プッシュをかわし続けていた悠陽は気疲れが酷く、一旦休もうとその場しのぎの嘘をついて店を出た。駅周りによくある居酒屋チェーン店なせいか、店の前は同じ歳くらいの若者がワイワイと騒いでいる。空いているベンチに腰をかけ、夜風にあたるも賑やかなせいであまり休んでいる気がしない。
(連絡先を教えて何になるんだろう。彼女は俺を知ったところでどうしようというのだろう)
悠陽は人からの好意があまり得意ではなく、それが恋愛感情となると余計にだった。人間関係の事を色々考えていると気分がドッと落ち込んでしまう。
特に女性に苦手意識があり、女性の甲高い声、怒声、悲鳴、そう言った声がかなり苦手である。単純に耳にキンキン響くと言うのもあるが、過去のトラウマがフラッシュバックしてしまうという方が大きな要因だろう。
(……戻らないとだよな)
今日は風が強くて春だと言うのに冬のように肌寒く感じる。ゴォゴォと吹く風にブルっと身を震わせつつ立ち上がり、気の進まない店内に戻ろうと入口の重いガラス扉を開けた。
「わっ……」
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
丁度人が出てくるタイミングと被ってしまい、危うくぶつかりかける。咄嗟にお互いが謝りつつ顔を見合わせると、その人は飲み会の席にいた人だった。
「あ……えっと、キミも休憩?」
「……そんなところ?」
「……はは、なんで疑問形?」
彼は今年このサークルに入ってきた人だろう。今までに大学内でも見かけたことがなかった気がしている。端の方で誰と話す訳でも無くただ黙々と飲んだり食べたりしていたから少し気になっていた。悠陽は自分と同じくこういう場は苦手なのだろうと勝手に推測していた。
「僕は戻るから落ち着いたら戻ってきなよ」
「……はい」
悠陽は自身よりも背の高い彼を見上げながら微笑みつつそう言った。背は一八〇センチを超えているように見える。背の高さも然ることながら、切れ長なつり目に真顔で淡々と話す姿に威圧感さえ感じた。ずっと真顔で過ごしていたのは慣れない場で緊張していたからなのかもしれない。
初めましての人しかいない上に早々にこんな飲み会に連れ出されるのだから当然だろう。悠陽はそう考えつつ、彼とすれ違った後に気の進まない自分の元いた席に戻って行く。
(去年の俺はどうだったっけ)
悠陽はふと昨年の自分を思い返してみた。
人付き合いは得意だからきっと上手くやれたいたに違いない。むしろ俺はそれしか出来ないのだから。悠陽は自分を鼓舞するようにそう思い拳をギュッと握りしめた。
◇◇◇◇◇
悠陽が小学二年生の頃に両親が離婚した。原因は父の不倫だった。
そもそも両親は愛し合っていた訳では無く、お互いの親により決められた所謂政略結婚だったようで父には母と結婚するまで別の恋人がいたらしい。 結局父の気持ちは最後まで母へは向かずにそのまま離れ離れになってしまった。
その頃から母の健康的だった体は痩せこけてしまい、精神は不安定になり悠陽へ依存するようになった。
とにかく悠陽を大切に育てていたが、それと同じくらい期待をされていた。故に厳しくもされた。母の言うことは絶対であり、少しでも反論しようものなら大声を出して萎縮させられる。その内やりたいことや言いたいことを伝えるのが怖くなってしまい、いつの間にか全てを諦めるようになっていた。
母が言うのだからそうする他はなく、母が希望するならそれに従うまで。高校受験も大学受験も何もかもの決定権は母にあった。
「悠陽は優しい子、いい子ね。悠陽だけはママを裏切らない。悠陽はママの大切な子」
それは耳にタコが出来るほど聞き浴びせられた言葉であり、悠陽にとってはもはや一種の呪いであった。
そして悠陽はそんな母の顔色を伺いつつ生活をしていくうちに、外でも同じことをするようになっていた。友人や周りの大人から“いい子”だと思われるように行動してきた。全てに従い反論はせず、とにかく笑顔で温厚に。嫌なことも極力断らないようにしていたし苦手な人とも上手く関わってきた。
自分の気持ちは全て押し殺して今日まで生きてきたのだ。そのせいでもう二十歳になる年だと言うのに、自分の本当の気持ちや本当にしたい事がわからなくなってしまっている。
掃除当番を変わって欲しいと言われたら、必ず頷いていた。課題やレポートを見せて欲しいと言われた時も、嫌な顔ひとつせずに言う通りにした。
何を押し付けられても笑顔で頷き全てを上手くこなしてきた。自分の予定を変えてでも、周りの人に合わせて生きてきた。
たとえそれが“都合のいい人間”だと思われていても悠陽は一向に構わないと思っている。そうやって生きてきたせいで今更どうしたらいいのか分からないからだ。
『本当は嫌だ』と思っても、直ぐにその気持ちを押し殺して『俺はいい子なんだから出来る』と言い聞かせてきた。
(……本当の俺って何なんなのだろう)
賑やかな歓迎会で、悠陽は過去を思い返して心がギュッと苦しくなる感覚がした。
◇◇◇◇◇
次の日、悠陽はいつも通り大学で講義を受けて午前を過ごした。一休みをしようと空いている休憩スペースの椅子に腰をかけてスマホを手に取る。
(……連絡またきてる)
結局昨日は連絡先の交換を断りきれずしてしまった、というよりも最初から断る気もなかった。ただやんわりその場を流せば忘れてくれるんじゃないかと思ってはいたものの、彼女の猛攻はそんな易しいものでは無かったのだ。
帰宅後に早速色々とメッセージが送られてきて、その都度きちんと返信をしていた。きっと相手は俺にこう言って欲しいんだろうという言葉を探しては送り、を繰り返していた。
『戸村さん、優しいですね』
そう返ってきた時、悠陽は心底ホッとした。
自分はそうでなくちゃいけない、優しくていい子じゃなきゃいけないと思って生きてきた。そのため、人からそういう褒め方をされると自分は大丈夫なのだと安心出来るのだ。
(俺とのやり取り、よく飽きないな)
次に彼女が求めてる言葉はなんなのだろうか。なんて言えば理想通りの“優しい戸村悠陽”でいられるのだろうか。そう考えつつも、相手に変な期待を持たせてしまったりするのは良くないとも思っていた。人間関係が拗れてしまうことだけは避けたいからだ。
「……え?」
次の返信内容をどうしようかとスマホの画面を見つめて考えていると、ふと目の前が暗くなった。悠陽はなにかと思い顔を上げた。
そこには昨夜、店の出入口ですれ違った一年生の彼が立っていた。目が合っても何も言わずに悠陽の事をじっと見つめている。
数秒して流石に気まずくなった悠陽は口を開く。
「えっと、昨日の」
「……日座」
「日差し?」
「日座 颯太」
「……それは、キミの名前?」
悠陽がそう聞き返すと、日座颯太と名乗る人物は軽く頷く。突然名乗られ驚いた悠陽はその後どうしていいのか分からなくなり、また見つめ合う時間が続いた。そしてまた数秒後に困惑する悠陽を余所に、颯太はその場にしゃがんで悠陽に目線を合わせて近い距離で話しかけた。
「アンタは」
「あ、あぁ、名前だよね、僕は──」
「戸村 悠陽って」
「……知ってたんだね」
完全に颯太のペースで話が進む。
一体なんの用があり悠陽に話しかけてきたのかも分からなければ、急に名乗った理由や悠陽の名前を知っている理由も分からない。どれから聞こうかこれからどうするべきなのかを一気に考えていると再び会話が止まってしまった。
(こういう時はなんて言えば俺の印象は下がらないんだろう?)
悠陽は頭をフル回転させて次の言葉を探した。
「なんで僕の名前知ってるの?」
やはり気になることから彼に聞くべきだと判断し、とりあえずはひとつずつ疑問を解消していこうと思いそう問いかけた。颯太は依然変わらぬ真顔で悠陽のことをじっと見つめながら少し間を開けて答えた。
「昨日周りがアンタの噂話をしてたから」
「噂話?」
「戸村さんは“Dom”なんだって誰かが言い出して、それが名前と一緒に広まってた」
それを聞いた時に悠陽は“またか”と思った。その言葉は人生で何度も言われてきた。と言うよりも勝手に噂され、それが巡り巡って自分の耳に入ってきたという方が正しいだろう。
毎回毎回誰が言い出すのかはわからないが、何故か悠陽はDomだと思われるようで、そう噂され期待され『実際はどうなのか』と聞かれると、本当のことを言えずにずっと嘘をついて『その通りだ』と答えてきた。
今まで誰にも本当のことを伝えずにいた。
実際にはDomではなく、Subであることを。
(直接聞いてくる人はいれど少ないのに日座くんはいきなりだな……)
悠陽はスマホをカバンにしまう。返信どころではなくなってしまった。
「あの、そういう話はここだと周りの人に聞こえちゃうし……日座くんもしゃがんでるのはキツいんじゃない? 場所を変えよう」
「別に平気だけど」
「僕が良くないから。大学の近くに静かな喫茶店があるからそこに行こう」
悠陽はあまりDomだのSubだのといった話をするのが好きではなく、半ば強引ではあるが場所を変えることにした。颯太は特に何も言わず、立ち上がり歩き出した悠陽の横に並んで歩く。
勝手に場所を決めたりして怒っているのだろうか?と悠陽は颯太の顔をチラリと見て確認するも、颯太は表情が変わらないためまるで分からない。
その後も悠陽は人の顔色を伺って生きてきた癖が抜けず、颯太の顔を横目でチラチラと確認していた。流石に視線を感じたのかバチッと目が合ってしまい気まずくて目を逸らす。
「そういえば日座くんは僕になにか用があったのかな?」
「まぁ。午前中に時間があく度アンタを探してた」
「そうだったんだ。連絡先交換してなかったから手間かけさせてしまったよね、ごめんね。ところで何だったのかな?」
「……それも喫茶店着いてから話す」
「そ、そう……」
颯太は顔だけではなく声色も変わらないものだから、悠陽は感情が読めずに不安になる。言葉を返してくれるから怒っている訳では無いだろうと思いつつも、内心少し彼に怯えていた。ほぼ初対面なのに用事があるというのも不思議だからだ。
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