私は蝶になりたい

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「川原ー。 おーい、聞こえるかー?」 「・・・え?」 ふと呼ばれた先を見ると来人がそこに立っていた。 「大丈夫か?」 「うん・・・」 ―――いつの間にか授業が終わっていたんだ。 「次にすることは少し時間がかかるんだ。 移動もあるから早速向かうぞ」 率先して歩き出す来人の後を付いていこうとする。 だが席を立ってその場に固まってしまった。 ―――・・・周りからの視線が痛い。 突き刺さる女子からの視線。 一依が少しお洒落をしたことにではなく、来人と一緒にいることに対して妬んでいる方が強いと感じた。 「川原ー?」 教室を出たところで来人から再度呼ばれ一依は走って彼のもとへ行った。 「・・・辛いか?」 「え?」 「周りからの視線」 来人は気付いてくれていたのだ。 一依が居心地悪そうにしていることに。 「・・・うん」 「川原が突然綺麗になって嫉妬しているだけさ。 あまり気にすんな」 「・・・」 “おそらくあの視線は来人くんのことを一人占めしているからだと思う” なんて言葉は言えなかった。 「川原は止めたいか? 自分が変わること」 その言葉には必死に首を振った。 まだ始まったばかりなのに折角のチャンスを無駄にしたくはないと思ったのだ。 「よしッ。 その意気だ!」 来人は嬉しそうに笑うと一依の背中を押しぐんぐん前へと歩いていった。 そのまま着いた先は来たことのない場所だった。 「ここって・・・」 「理容科。 これから川原にはヘアスタイリングをやってもらう」 「髪型?」 「そう。 これは俺も専門外だからちゃんと信頼できる人に頼んだよ。 あ、先輩!」 来人が手を振るその先には爽やかな二つ上の男子が立っていた。 「先輩とは高校からの仲なんだ。 先輩、今日は川原をよろしく頼みます」 「了解。 君が来人が変えたいと思っていた子だね。 お名前は?」 「一依って言います」 「一依ちゃんね」 「わー。 初対面なのに下の名前で呼ぶとか凄いっすね」 「来人もこの際、下の名前で呼んでみたら? じゃあ一依ちゃん早速行こうか」 連れてこられた場所はヘアカットの練習で使われているだろう教室だった。 既に使用する許可は取ってあるらしい。 一依は鏡の前の椅子に座らされた。 「一依ちゃんに似合う髪型にしてあげるからね。 んー・・・。 思い切り髪を切っちゃってもいい?」 「ショートにするんですか?」 「うん。 嫌?」 「嫌じゃないんですけど、ショートにはしたことがなくて・・・」 「勿体ないなぁ。 顔が小さいしショート凄く似合うと思うけど」 「顔周りがスッキリしちゃって落ち着かないと思ったんです・・・」 「なるほどね。 じゃあ自分が変わりたいと思う今がピッタリなのかもしれない。 まずは髪を濡らそう。 特別にシャンプーもしてあげる」 シャンプー台へと移動された。 その時チラリと来人のことを見る。 来人は雑誌を読み込んでいて特にこちらを気にしている様子はなかった。 「じゃあ椅子を倒すね」 シャンプーが始まった。 優しく慣れた手つきは流石だと思った。 ―――気持ちいい・・・。 シャンプーを終えると再び鏡の前へ。 カットが始まった。 初めてのショートヘアで期待と緊張が混ざり合う。 「あー、そう言えば次の授業は諦めろよ。 流石に先輩でも1000円カットみたいにすぐ終わらせるのは無理だから。 カットで終わりっていうわけじゃないしな」 しばらくカットされていると来人にそう言われた。 来人はなおも雑誌に目を向けている。 確かに次の授業までもう時間はなかった。 「俺の連れにノートをとっておくよう頼んでおいた。 それを後で見せてやるからさ」 「・・・うん、ありがとう」 ―――確かに美容院はいつも時間がかかる。 ―――5分や10分で終わらないのは分かるけど、スキルを使えば時間はそんなにかからないんじゃ・・・? スキルは人によって違うが、大抵それを使えば時短できる。 人によっては工程を一瞬で終わらすことができる人もいる。 この先輩であればさぞ有用なスキルを備えていることが予想できた。 しかしスキルを一切使う様子を見せないのだ。 「あ、ゆっくりペースでごめんね。 スキルを使わないでカットって最近では全然しないから、いつにも増して慎重になっちゃって」 「・・・え?」 ―――スキルを使わない? ―――どうして使わないんだろう。 尋ねようとすると先輩が来人に向かって言った。 「来人ー。 この後は髪に色を入れようと思っているんだけど、髪が痛まないようにスキルを使っていいかー?」 「駄目です。 スキルを使わずに上手いことできないんですか?」 「やっぱり駄目なわけね。 善処はするけどさー・・・」 ―――・・・来人くんがスキルを使わないように頼んだの? 疑問に思っていると丁度作業を終えたようだ。 「よし、カットは終わり! 大分短くなったね」 「本当だ・・・」 「不安に思うことはないよ。 大丈夫、似合ってる。 明るい茶色に髪を染めようと思うんだけど、どうかな?  勇気がないなら一時的にヘアスプレーで色を付けるのもありだけど、折角の機会だし思い切るのをお勧めするよ」 迷った挙句この際なら冒険してしまおうと覚悟を決めた。 「・・・染めたいです」 「うん、分かった。 綺麗に仕上げるからね」 そうして色を付けた。 控えめであるが黒から薄茶色になるだけでまるで印象が違う。 着ている黄色のワンピースにも似合う春らしい姿になった。 「私じゃないみたい・・・」 「さぁ、最後の仕上げだよ」 最後に先輩はふんわりと髪を巻いてくれた。 柔らかさが格段と上がり女性らしさがより出るようになった。 「素敵・・・!」 「一依ちゃん、めっちゃ可愛いよ。 どう? 来人」 呼ぶと来人は雑誌を置いてこちらへやってきた。 そして満足気に微笑む。 「似合うじゃん」 「ねっ。 やっぱりショートにして正解だった」 時計を見ると丁度授業が終わった頃だった。 「さぁ二人共、教室へ戻りな」 「流石先輩。 また頼りに来ますね」 「その前に俺に飯でも奢れよ?」 「もちろんです。 行くぞ」 来人は先に出ていった。 「こんなに素敵にカットしていただいてありがとうございました」 「うん。 一依ちゃんは本当に素敵になったよ。 自分に自信を持ってね」 「はい」 一依もここを出ようとすると先輩に呼び止められた。 「そう言えば、来人には内緒にって言われていたんだけど」 「?」 「その一依ちゃんのヘアスタイルは来人からのリクエストだよ」 「・・・え!?」 「大丈夫、似合っているのは本当だから。 来人はメイクアップ科だけどヘアスタイリングとしてのセンスもあると思うよね」 それを聞きながら一依はこの場を後にした。 ―――この髪型は来人くんがリクエストしたものだったんだ・・・。 そう思うと急に恥ずかしくなった。 「どうだった?」 「髪が短くなって軽くなったかな」 「表情も大分和らいだな。 周りを見てみろよ。 まだ違和感を感じるか?」 言われた通り周りを見てみる。 美容学校だけに髪色が明るい生徒が多い。 それを考えてみれば一依はまだ地味な方かもしれない。 ただ全体の調和としてみれば誰よりも上手くコーディネートされていた。 「・・・ううん、違和感を感じない。 寧ろやっとこの学校に馴染めた感じがする」 「あぁ。 今の一依は浮いていない、正真正銘この学校の学生だ」 「ッ・・・」 初めて下の名で呼ばれ鼓動が跳ねた。 それを無理矢理隠しながら自分たちの学科へ向かう。 ただ知っている顔が増えるにつれ先程まで満ち溢れていた自信が徐々に萎んでいってしまった。 先程までも十分視線が集まっていたのに、更にそれが顕著になっている。 「・・・ごめん。 先にお手洗いへ行ってから教室へ戻るね」 「そうか、分かった。 先に教室へ戻っているから」 「うん」 「残りは昼休みに仕上げちまうぞ。 昼休みは予定を空けておけよ」 そう言うと来人は一人教室へ戻っていった。 ―――・・・ここで怖気付いちゃ駄目なのに。 ―――でも教室へ戻りたくない。 ―――またあの心地悪い時間が始まってしまう。 そう思いながらお手洗いへ入ったその時だった。 ―バッシャーン。 冷たい水を横から被り一依のワンピースを派手に濡らした。
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