あの角を曲がって

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「同じだね」 あるとき、やっぱり歩くリハビリをしていたお兄さんとかち合い、あたしはすぐに手すりを譲った。 「いいよ、キミが先にどうぞ」 あたしは首を振った。どうせ歩けない。歩けるようになってどうしろというんだ。 「そう? じゃ、お先」 その人は、どこかで見たような顔だった。思い出せなくてじっと見つめていると、彼は肩をすくめておどけたように言った。 「僕、平沢将太。……読日ヒューマンズの」 あ。 お父さんがよく見ていたプロ野球の。ちょっと前まですごく話題になっていた新人の天才打者。 その人が、がっちりサポーターをした右膝を引きずりながら歩く練習をしている。ニュースでやっていた。守備で激突して大怪我、との。 「あの」 「あそこまで僕が歩けたら、キミもやれる?」 「……」 「そうしたら、僕ももっと頑張れるんだけどな」 だって、この人確か――もう選手生命は。 「何のために?」 あたしはもう、歩けなくたって学校へ行けなくたって。どうでもいい。 あたしを命懸けで守ってくれたあの人。そんな人のことを何一つ思い出せない自分が大嫌い。大事な思い出があったはずなのに、あたしのバカ。せめて写真の一枚でも残っていたら。 もう何もない。そして、二度と会えない。 「何のため――そうね。何かに出会うために」 彼が言った。そうしてまた一歩進む。 何のために。何に出会うために頑張るの? あたしがちゃんとリハビリ始めたって、あなたに関係ないでしょ。 言葉にしなくても、あたしのそういう思いは顔に出ていたはず。 なのに、彼はまた一歩進む。 あたしはつられて、手すりをつかんでいた。
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