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足を引きずるのが目立たなくなった頃には、あたしは平沢さんとリハビリ以外でも会うようになっていた。喫茶店とか。映画館とか。遊園地なんかで。
それでもまだ、うまく笑えなかった。
平沢さんは、選手を引退した。それでトレーナーとかいうものになる、と勉強を始めたという。
あたしはいつもこの人につられる。あたしも何か自分にできることをしたい、と思うようになった。
そんなとき、お父さんとあの人――由希子さんの共通の友だち3人が家にやって来た。遺影もない仏壇に、手を合わせに来てくれたのだ。
このおばちゃんたちは、以前もときどき遊びに来たことがある。だからあたしもよく知っている――覚えている。
「由希子さんて、面白い笑い方する人だったわね」
「いつも何かハミングしてた」
「ピアノが上手だったのよね」
かしましいけど楽しいおばちゃんたち。
あたしはつられて笑っていた。自然に、笑えた。
「由希子さん」が、どんな人だったのか。
お父さんには聞けずにいた。あたしもあの人の記憶を失ったことを言えずにいた。お父さんはあの火事以来、一回りも小さくなって老け込んで、どう声をかけていいかわからないほどだったから。
もしかして、こういう話がヒントになって、手品の万国旗みたいにひゅるひゅるとあの人との記憶が飛び出してくるかも。
「面白い笑い方? ってどんな?」
問い返すと、中で一番太ったおばちゃんが困ったように首をすくめた。
「えーとね……こんな? いや、こういう感じ?」
と、顎に拳を押しつけて「えひゃえひゃ」と笑ったが……他の2人に「いやー、似てない!」とけなされ、却下。
「こうよ、こう!」
拳を押しつけるのは同じだが、「ふひょよひょよ」だったり、「違う違う、こうよ!」と、「へひょひょひょ」とか。今ひとつわからない。
全く知らない人の話を聞いているようで、あたしとの思い出を揺り起こしてくれる気がしない。万国旗どころか旗一つ出てこない。
でも、お父さんもつられて久しぶりに笑っていた。あの人がどんな笑い方だったかはともかく、きっとそれで周りを明るくしたのだろう。
そして、歌が好きだったんだね。ピアノ、弾いてたのね。そういえば、焼ける前のあの家にはピアノがあった。ドレスを着たお人形が乗っていた。レースのカバーの上に楽譜もたくさん。
あたしは弾けない。どうして教えてもらわなかったんだろう……そう思ったら悔しさが沸いてきた。
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