ギリギリ★作家道

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ギリギリ★作家道

   世の中には、人々の幸福を助けるため、さまざまなモノを発明をする学者もいれば、学者が発明したものを効率よく作り上げる技術者もいる。  作家は何を生み出すのかと言えば、肉体的な命を支えるモノではなく、精神的な魂を支えるモノを作り出す。  音楽や絵画や映像も魂を支えるモノだが、小説はある意味、音楽や絵画より深く魂を支えることができる。  言葉を組み合わせることで、魂の構造すら変える力を持っている。  人生観や価値観そのものを根本から変えることも可能だと僕は信じている。  ここまで、この文章を書いてから『作家道』を書いてみた。  『作家道』を読み返して反省することは、まだまだ内容そのものが自分に向けた言葉だということ。あれは後から読み返して、自分を戒めるためのメモみたいな内容だと思う。  作品にするからには、万人に向けた整然とした親しみやすい文章と、もっと深く人を感動させる何かのヒントが必要だ。  そもそも8,000文字以内という規定のある妄想コンテストへの応募作品だということ自体、まったく的外れだ。  妄想とは何の関係もない内容であり、ジャンルもエッセイだ。  僕が審査員なら 『バカじゃねぇ〜か、コイツ』 と思うだろう。  もしかすると 『妄想コンテストの趣旨に外れている』 とダメ出しをくらうかもしれない。  しかし、僕は今までも敢えて、そんな事をして来たし、今後もするつもりだ。  妄想コンテストには、妄想という軽い条件はあるけれど、その妄想が、現実に近い妄想か、まったく非現実的な妄想か、規定はない。  『作家道』に書いたことは、妄想に過ぎないのか? と、問われれば、ある意味 YES であり、ある意味 NO である。  僕自身、そうした作家でありたいという妄想を、あたかも現実のように書いてしまったという意味では YES である。  だが、それは単なる妄想ではなく真剣な祈りと決意であるという意味では、NOである。  どちらにせよ入賞など全く狙えない作品であるが、なぜ妄想コンテストに応募するのか、と言えば、あれでも『道』というお題から自分なりに妄想を膨らませた果てに考えついた作品であることに変わりはないのだ。  まるで仮装盆踊り大会にスーツ姿で出場して、普段着じゃなくスーツ姿に仮装してるんですなどと言っているような、空気読めない人間である。  そんな空気読めない人間が、作家になどなれるのか?!  ここで、一つだけ言い訳してみると。  『作家道』はコンテストの趣旨に合ってない、場違いな作品であるという事は、明確であるが、だからと言って誰かに迷惑をかけるような内容ではないと考えている。  コンテストの趣旨には、不適合ギリギリのグレーゾーンに、かろうじて首の皮一枚でつながっているような『妄想の要素』を含まない作品かもしれない。    それでいいのだ。  そんな僕の作品は、作品そのものが妄想コンテストの箸にも棒にも引っ掛からない『余白』のような作品であることに意味があるのだからと、今回に限って言えば自分なりには内心、納得している。  終わりのない反抗期を続けている、大人げない人間だと自覚している。  
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