41人が本棚に入れています
本棚に追加
死を見つめる筋力
エブリスタを始めて、いろいろな収穫があったけれど、一番大きな収穫は死について深く考察し始めたこと。
死を身近に感じ、他人ごとではなく自分のこととして真正面から受け止めようと意識を改革できたこと。
三浦綾子さんの何かの話で、病気やケガが不幸なことだという思い込みは間違いだ・・
というような文章に触れた覚えがある。
実に同感である。同時に死でさえも、必ずしも不幸なこととは限らないと僕は真面目に考える。
僕には、病気や障がいを持っている友人がたくさんいる。
もしかすると、その友人が病気だったり障がいを持っていなかったなら、友だちにならなかったかもしれないとさえ思う。
元気な方から、一緒にイベントしたいと相談されても、なかなか時間を作れずにいるが、その方が病で倒れると、慌ててイベントを計画して『早く元気になって一緒に楽しみましょう』などと励ますものだ。
病気やケガ、死という看板が目の前に掲げられると、人は『早く何とかしなきゃ』という気持ちになる。
ご高齢の方々が、様々な企画を気長に待てないのは死が身体の内側から滲み出してくる実感があるためだ。
ご病気やケガ治療中の方々が、健康的な人々と同じことができないもどかしさに焦りを感じるのも不自由が身体の奥底から滲み出してくる不安があるためだ。
これらの焦りを冷静に受け止める揺るぎない気概を持つなら、焦りを原因とする言動が如何に不健全であっても驚きには値しない。
僕は、エブリスタで学び、仲間たちの愛や激励に磨かれたお陰で、やっとその事実を理解し、その焦りによる不健全な言動を冷静に受け止められる気概を持つに至った。
前作『皮膚科医茗荷冴月』の作中、苦悶する僕に大勢の仲間や友人が、ペコメやDMなどで励まし導き支えて下さった。
お陰様で、その後、母との関係は大きく変化した。僕は、母の焦りや不安から発生する不健全な言動を客観的に整理して、かなり自然に対処できるようになった。
相手が抱える焦りや不安に振り回されていたのは、相手にも、自分と対等の精神力があるはずだと見なしていたためだ。
年齢が違うという単純な事実だけで、体力が違う。体力と精神力はある意味比例する。
(※精神力とは、知力や優れた創作能力とは無関係である。命を安定して燃やし続ける原動力とでも言うべきもの)
僕は、この一年、かなり真面目に筋トレに打ち込んで体力をつけて来た。
たかが筋トレと侮るのは間違いだ。
身体に不安がなくなると、精神的にも不安感はなくなる。
身体に新しい筋肉がつき始めると、精神的にも攻めの姿勢が出てくる。
筋トレを継続することで脳神経にも変化が生じる事は科学的に証明されつつある。
どう変化するのか?!
言葉で説明するなら・・
身体の動きや健康に自信を持つことで、一つ一つの行動計画に自信を持って取り組める。
つまり、自分自身の肉体的な不安は、精神的な不安を生む。その反対に、肉体が充実してくれば精神も充実してくる。
だから僕は不思議と、筋トレを継続することで、初めて死を自己の延長線上の変化であることを冷静に認識する気概を得たのである。
どんな恐るべき事実であれ目を背けることなく、直視して分析し準備するエネルギーを捻出する事が可能となったのだ。
正しく眠るためにも、ある程度の筋肉や体力が必要であるように、正しく死を直視して前向きに思考するためにも、やはり筋力体力が必要なのだと今は反省する。
肉体改造が精神的な分野に、ここまで明確に影響を与える事は、当初、予期していなかった。
けれども、それは事実であり、その力を僕は今、実感している。
ウソ?! と思う方は可能なら是非、筋トレを始めて下さい。
一年間、続けて何の変化もなければ、どうか僕にご報告願います(笑)
その時まで、さらに精神力を高めるために有効な身体作りの研究をしておきます(真面目)
最初のコメントを投稿しよう!