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「ねぇ。ケイ君」
「なに?」
「あたしさぁ、SQの店舗で働いてるんだけど」
「あ、そうなんだ」
彼女の「P」で確認すると、アパレル勤務と書いてある。
たぶん勤務先のアパレルブランドがSQという名前なのだろう。
とはいえ、僕にはSQがどういうブランドなのか、知る由もないのだけど。
「今度、店長やらないかって言われてるんだー」
「へぇ、すごいね」
「えーすごくないよー。店長なんて大変なだけだし」
「そうなんだ」
「でもね、イタリアの店舗から偉い人が来てて、その人から気に入られちゃったみたいで」
「へぇ、すごいじゃん」
「そうなの、だから、断れなくて」
「そっか、頑張って」
「ありがとう。ケイ君って、本当に優しいね」
「え? なんで?」
「だって、いつも応援してくれるから」
「そうかな?」
「うん」
「そっか」
僕がうなづくと、小林もえは「じゃあ、行かなきゃ」と言って僕の前に立った。
「ケイくん、おやすみ」
「もえちゃん、おやすみなさい」
僕らは軽くハグしたあと、手を振りあった。
***
ライブハウスでのファーストデートを終えた僕らは、それから週に何度か会うようになった。
会う場所は毎回それぞれで、ライブハウスの時もあれば、今日のような楽園に見立てた公園の時もあるし、一度は水族館の時もあった。
水族館は僕が大好きな場所だったから、僕のテンションは急上昇した。
けど、水槽に夢中になり過ぎて殆ど会話が成立せず「もしかしてあたしに興味ない?」と言われて、最高に焦った。
その時「ねぇ、連絡先を交換しようよ」とも言われ、お互いのIDを交換し合った。
僕らは今まで以上に頻繁に連絡を取り合うようになり、普段は連絡ツールで会話し、そしてVRでデートするという、一見すると普通のカップルにも見えた。
けれど僕は、いわゆるこれが「疑似恋愛」なのだと理解した。
バーチャルがそう思わせるんじゃない。
触れ合いがなくても、会えなくても、そんなことは問題じゃない。
毎日連絡を取り合っているのに、デートを重ねているのに、本物の人間がCGの向こう側に存在しているのに。
心臓が痛くなるほどのドキドキや、死にたくなるような高揚感は存在しない。
「僕は何をしてるんだろう?」
油断すると、虚しさに飲み込まれそうになる。
彼女に会うほどに、話すほどに、僕の空洞がどんどん広がっていくようで恐ろしかった。
けれど僕は、小林もえとの疑似恋愛を続けた。
おやすみなさいとおはようが言える相手は、彼女の他にいなかったからだ。
どうせ彼女は、いまに僕に飽きて離れて行くだろう。時間の問題だ。
どうせ今だけだ。そう言い訳をしながら僕は目を閉じた。
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