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「サヨさん、どういうこと? 僕のこと、誰かから聞いてたの?」
急にサヨさんが怖いくらいに真剣な目になった。そう昨夜の別れ際と同じ顔だ。
「ねえ、レンくん。……レンくんのリアルの名前と連絡先、教えてくれない?」
「え? どいうこと?」
僕が一歩、足を退かせると、サヨさんが二歩前に出る。
「私、レンくんが運命の人だと思うの」
「ちょっと待って! 僕の質問に答えてくれない? どうして僕のことを知ってたの?」
するとサヨさんはしばらくの間黙って虚空を見つめてから、ボソッと言った。
「……見てたから」
「見てた?」
「レンくんが他のユーザーと会ってるところ、私、見てたから」
僕はゾッとして思わず飛び退った。足が波にさらわれて、びしょぬれになる。たまらなく不快な気持ちだ。
すると、サヨさんも焦ったように海の中に足を踏み入れて迫って来る。
「大したことじゃないの! 私、ちょっとIT系の仕事をしていて、アカウントのハッキングとかできるの! それだけ! ねえ? 大したことじゃないでしょ?」
大した事どころの話じゃない。それが本当なら、サヨさんは疑似恋愛アプリの利用禁止ぐらいじゃ済まない。改正個人情報保護強化法に違反した犯罪者だ。
「色々なユーザーを見て来たけど、レンくんが一番理想の彼氏なの!」
サヨさんはどんどん距離を詰めて来る。僕は怖くなって離れようと海の中へと入って行く。
「レンくんにとっても、私が理想の彼女でしょ? ほら、私と一緒にいると『楽しいし、心が安らぐ』って言ってくれたじゃない?」
「ちょ、ちょっと待って! 僕らはまだ彼氏彼女の関係じゃない!」
気づくと僕は腰まで海に漬かっていた。すでに全身が濡れていて、急速に体温が奪われて行く。本格的に身の危険を感じて、僕はそのままログアウトしようとした。でも……!?
「あれ!? どうして!?」
「ログアウトできないんでしょ?」
サヨさんが長い黒髪を幽霊みたいにぐしょ濡れにして薄気味悪く笑う。
「レンくん、無理だよ。ここは疑似恋愛アプリの一部をリプログラミングして、私が管理者になっている世界だから」
サヨさんが目をギラギラさせて僕をにらんだ。
「ねえ、レンくん。リアルの名前と連絡先を教えて。そのデータホルダーだけは疑似恋愛アプリ会社のプロテクトが固くて私でも侵入できないの。だから……教えなさいよ!」
「それなら、なおさら教えるわけがない!」
僕がにらみ返すと、サヨさんはケタケタと笑った。
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