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“何をしている” と掛けられた低い声に幼い頃の記憶がよみがえって、こちらに向かって歩いてきた男を少々失礼なくらい凝視してしまった。
やっぱりどう見てもあの時の……――。
「あの。もしかして以前、こちらに住まわれていた……」
思わずたずねた言葉を、はたと途中で止める。
(いや、あの時と同じ人なわけないな)
以前会った時より歳を重ねていないわけではない感じに見えはするが、20年以上の時を経たというにはあまりに変わりがないように思えた。
子供の頃見たあの人は、この男の兄貴だったのだろうか。
質問の続きを飲み込んで、しばし思案に暮れる俺に首をかしげていたその人が、あっと眼を開くのが分かった。整った眉がそれと一緒に持ちあがる。
「お前、いつも木登りしに来ていた子供か」
少し驚いたように伝えられたことに、こっちの方がびっくりした。
やっぱりこの人があの日傷口に手ぬぐいを巻いてくれた人だったのだ。
日焼けした肌と無精ヒゲのせいで、実年齢よりずっと上に感じていたのかもしれない。やっぱり子供の記憶なんて曖昧なものだと、ここでもまた実感することになろうとは。
「覚えてらっしゃるんですか?」
「ああ、もちろん。何度も枝から落ちてケガをしていたからな」
昔を思い出すようにフッと笑みを浮かべた目尻にはシワが入って、やっぱりあの頃より歳を取ったのだろうなとそんなあたり前なことを思っていた俺が逆に言われる。
「老けたな。坊主」
最後にこの人に会ったとき自分はまだ十代半ばだったのだから、そりゃ老けもする。もう中年に片足突っ込み始めているんだし。
それでもはっきり告げられた事実に若干顔を引きつらせながら言葉を返した。
「あなたは変わらないですね。お兄さん」
当時呼んでいたままにそう伝えると、ハハハと笑いながら店の入り口のカギを開け、俺を中へとうながした。
曖昧だろう子供の記憶のはずなのに、目の前の背中はあの頃と変わらずとても広く見えた。
ただ一つ、明らかに違っていたこと――。
店の中に入っていくその人は、歩きにくそうに片足を引きずっていた。
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