密議

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密議

「これっぽっちかよ、シケてんな」  男は手の中を見て呟いた。今月はこれだけでどうにかやりくりをしなければならない。まぁ別に無くても生きていけるけれど、無ければ懐が寂しい。  たった一杯の酒をチビチビと舐めるように飲み、今日はこれだけと決める。  着古したスーツもヨレヨレで、それでも別に困ることはないけれどもう少し良い思いをしたい。全盛期の頃の自分はもっと毎日に張り合いがあった気がして男は大きなため息をついた。  コロンと音がした。鈴が転がるような、軽い音だ。  男は店の入り口を見て思わず手を上げる。 「よぉ」 「やぁ」  今しがた店に入ってきた奴が返事をした。そして男に断りもなく向かいに腰掛け、気安い様子で男の手の中を見て笑う。 「それだけ?」 「まぁなぁ。シケたもんだよ」 「困りましたねぇ」 「全くだ。最近大きなヤマもないしな」  男はまた酒をチビリと舐める。そんな男の様子を見て鈴の持ち主が今度は肩を揺らして笑った。 「奢りましょうか?」 「いや、いい。お前の方は奢る程儲かってんのか?」 「そうでもないですね。でもまぁ……そちらよりはマシかと」  そう言って鈴の持ち主は行儀の良い衣装のポケットから取り出した物を男に見せてくる。 「大分形勢が逆転してんのな」 「そのようです。世界はさぞかし良い方向に向かっているのでしょうが、私達にとってはこの世の終わりですよ」 「ああ。また狩り場を探さねぇと。まぁでも周期的にそろそろではあるか」 「ええ。今後ともどうぞよろしくお願いしますね」 「こちらこそ、だな」  二人は持っていたグラスをカチンと合わせて何かを含む笑顔を浮かべる。 「そうそう、これに乗りませんか?」  鈴の持ち主はそう言って一枚の手紙を磨き上げられたテーブルの上に置いた。  男はそれを覗き込んでニヤリと笑って顔を上げる。 「いいな。いつだ? 狩り場を探すにも先立つものが無いとな」 「まだ詳しい日付は決まっていませんが、近々、とだけ」 「近々、な。また陰謀論じゃねぇよな?」  忌々しげに男が言うと、鈴の持ち主は苦笑いを浮かべた。 「あの時は私もすっかり騙されてしまいました。ですがこれは真実です。陰謀でも何でも無い、来る時が来ただけ。仲間たちも今は色んな所であなた達に声をかけていると思いますよ」 「なるほどな。まぁ騙された所で別に何が変わる訳でもない。よし、乗るよ」 「良い仕事してくださいね。期待してます。あなた達が居るからこそ、私達の存在が際立つのです」 「分かってるよ。こちとら好きでこの仕事してんだ。にしてもこの規模は久しぶりだな。誰が誰につけこむか戦争になりそうだ。さてどちらが勝つかな、今回は」 「私は今回も私達の勝ちに賭けますよ。誰が誰の所に行くかはそちらにお任せしますね」  鈴の持ち主はそう言って立ち上がり、カウンターに向かって歩き出したが、途中で振り返って軽やかに言った。 「ここは奢ります。次の一杯は舐めてないで飲んでください」  イタズラに笑って颯爽と立ち去る鈴の持ち主に軽く手を上げた男は、目の前に置かれた酒を一気に飲み干した。    そこへまた鈴の音が聞こえてきた。先程とは違い、今度は随分と騒がしい鈴の音だ。顔を上げると別の鈴の持ち主が店に入ってきて、無遠慮に挨拶も無しに男の前に座る。 「も、もう聞いたか!?」 「近々来るデカいヤマか?」 「そうだ! ああ、てことはもう組んだのか」 「一足遅かったな。他の奴らに連絡取ってやろうか?」  ガックリと項垂れた煩い鈴の持ち主は恨みがましげに男を見るが、男は飄々と笑うだけだ。 「はぁ……連絡、頼めるか?」 「ああ、いいぜ。そんなに慌ててるって事は、今回は本当なんだな」 「そうだな。今頃皆走り回ってるだろうよ」 「なるほど。道理で外が煩いわけだ」  店の外ではガラス越しにさっきからずっと鈴の音が鳴り響いている。男の言葉に煩い鈴の持ち主は疲れた顔をして言った。 「今回が最後だからな。そりゃ皆、必死になるさ」 「そうだな。まぁ良い所だったよ。従順でさ」 「そうだよな。次の所がこうだとは限らない。持っていく財産は多い方がいいさ」  長年親しんだ場所を離れるのは辛いが、終わりだと言われたのなら仕方ない。男は煩い鈴の音の持ち主の為に仲間に連絡をとってやった。 「二番地にいるみたいだぞ。皆で飲んでるとさ」 「ありがとう、助かる! それじゃあな!」 「ああ、取られる前に急げよ」 「そうする!」  そう言って煩い鈴の持ち主は店を飛び出して行った。それからも引っ切り無しに店に鈴を持った奴らが現れたが、男は最初の鈴の奴との約束があると全て断った。  夜になり、男はようやく立ち上がる。店を出るともう鈴の音は落ち着いていた。  濃紺にも近い夜の帳が空を多い、その中にいくつか仲間の姿を発見した男は、手の中の物を弄びながら口笛を吹く。曲目はショパンの『葬送』だ。この悲壮感が堪らない。  最初の鈴の男が言った日はさほど遠くは無かった。終焉はいつでもそう、突然にやってくる。  男は大きな翼を広げて瓦礫に腰掛け、今にも崩れ落ちそうな荒廃した街を見下ろした。そこへ軽やかな鈴の音が近づいてくる。 「よぉ」 「やぁ」  鈴の持ち主は以前と変わらず男の隣に腰を下ろし、目を細めてやはり男と同じように荒廃した街を見下ろした。 「今回は楽でしたね。そしてやはり私達の勝ちです」 「そりゃあれだけ下準備されてりゃな。それにしても大人しい奴らだったな」 「それに関しては私も驚きました。まさかこんなにも早く簡単に終焉を迎える事が出来るなんて! もう少し抵抗するかと思ったんですけどね」 「俺たちを分断してさも争ってるように見せかける。なかなか良い作戦だったんじゃないか?」  男はおかしそうにクツクツ笑うと、その言葉に同意したかのように鈴の持ち主も笑う。 「ふふ、本当です。見事に人々は2つに分断され、私達の存在を勝手に敵だと思ったり味方だと思ったりしていた様は面白かったですね」 「面白いと言えば、俺たちを利用しようとした奴らだな」 「あれは見物でしたね! あいつらがどこまでやるのかと思っていましたが、最後は何の面白みもない結末でガッカリです」 「驕るとああなるって言う良い教材だったよ」 「あなたがそれを言いますか?」 「むしろ俺以外に誰が言うんだよ?」  男は片方の口の端だけを上げて嫌らしく笑う。それを見て鈴の持ち主は口に手を当てて上品に、心底おかしそうに笑った。 「あなたは何せ、悪魔の最高峰ですものね」 「そういうお前は大天使様だな」  かつてそう呼ばれて崇められたり憎まれたりした二人が、仲良く世界の終焉という大きな仕事を終えて瓦礫の上に座り語らう。  この状況を今はもう居ない人間達が見たら一体何を思うのだろう? もう生物の居ないこの星はこれから再生が始まる。  その時、きっとまた仲間たちと共に訪れる事もあるだろう。その時はどんな名で呼ばれるのか、考えるだけで今からゾクゾクした。
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