仮面カップル

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仮面カップル

ミモザ、サンザシ、クロッカス……。 色とりどりの花に飾られた馬車に乗って、沿道に集まった大勢の人々に手を振っている。 屋根のないオープン馬車の上で、婚約者のマルゴー王国第三王子ノアは、私の手を取るとそこにキスをした。 「見てごらん、アデル。みんな君の美しさに夢中だ」  私の淡い赤茶色に巻いた長い髪を、そっとかき上げる。 「まぁ、なにをおっしゃっているのかしら、ノアさまったら。私はこのパレードの主役である花たちの、添え物でしかありませんわ」  私は彼の、淡いミルクティー色の髪に似合う、深いグレーの瞳を見つめた。 ノアはもう一度その指先にキスをする。 王国主催の春を祝うパレードに、私たち2人が目を合わせ微笑みあえば、人々から歓声と幸福なため息がもれた。 馬車の走る間は、常に笑顔で集まった人々に手を振り続けていなければならない。 長い式典を終えて、王宮へ向かう帰路のことだ。 会場から出発した馬車は賑やかな大通りを抜け、ぐるりと市内を一周する。 「アデル。大好きだよ。君がいてくれて僕は幸せだ」 「まぁ、私もですわ。ノアさま」  空には春の温かな日差しが降り注ぎ、座って手を振り続けているだけでも、じんわりと汗が浮かんでくる。 ノアと私はそうしている合間にも、互いに身を寄せ合い、微笑み、見つめ合うことを繰り返す。 そんなことを1時間近く続け、ようやくパレードも終わりを迎えた。 町一つ分以上の大きさはある、王宮の敷地に入る。 高い塀に囲まれたその空間は、ここだけが別世界だ。 どこまでも広がる手入れの行き届いた庭園の中央に、国王とその王子たちの住む城があり、広大な敷地の至る所に建てられた館は、それぞれ貴族たちや役人たちの宿舎となっていた。 沢山の花に飾られた馬車は私たちを乗せたまま、王城の脇にある馬車寄せに停まる。 そこを降りてからも、婚約者であるノアと私は自然に手を繋いだ。 目を合わせニコリと微笑みを交わすと、そこに出迎えた人々にも笑顔で手を振り続ける。 城の中に入り、ようやく外との入り口がバタンと閉じた。 その瞬間、私たちはパッと互いの距離をとる。 「お疲れさまー」 「はーい、お疲れさまでしたぁ」  無人の廊下で、ノアは襟元のボタンを外し、シャツでパタパタと胸元をあおいでいる。 私は肘まである手袋を外した。 「このままあの小さな緑の館に帰るんだろ?」 「そうね、今日の長丁場はさすがに疲れたわ」  いくら春先とはいえ、ぽかぽか陽気の晴天の下、ずっと笑顔で手を振り続けるのは、精神的にも肉体的も負担が大きい。 城内に入る連絡階段の手前で、ノアは振り返った。 「少しだけなら、僕の部屋で休んでいく?」 「ううん。大丈夫よ。早く帰りたい」 「そ。じゃ、また」 「またね」  ノアはこちらを振り返ることなく、城の中へ戻ってゆく。 私はそのまま別の馬車寄せまで行くと、待機していた小型の馬車に乗った。 「帰りましょ」 「かしこまりました」  御者のムチが、閑散とした王宮庭園に響く。 動き始めた馬車の中で、私はようやく1人になれた。 ほっと一息つく。  今から6年前の10歳の時、このマルゴー王国に嫁いで来た。 正確に言うと、今は婚約状態であり、正式な結婚にはまだ至っていない。 母国シェル王国が内戦状態に陥り、堕落した兄王を討つために立ち上がった父は、争乱を起こす前に一人娘である私を隣国のマルゴー王家へ預けた。 必ず勝って迎えに行くと言われ両親と別れたまま、今は全くの音信不通となってしまっている。 激しい戦闘状態は終焉を迎え、政情も落ち着いてきたという話しは耳にするものの、何の連絡もなく私はここに取り残されたまま、第三王子の婚約者という名目で庇護を受けている。  ほぼ無人の広い広い王宮庭園を、小さな馬車はコトコトと走る。 そうやってこの国に厄介になることになった私は、王宮の中央に位置する巨大な城の中ではなく、その庭園の隅に建てられた小さな緑屋根の館を与えられ、そこでシェル王国からついて来た侍女たちとひっそりと暮らしていた。 手入れの行き届いた庭園を横断し終える。 「ただいま」  館に帰った私は、すぐさまコルセットを緩めた。 「セリーヌ、帰ったわ。着替えを手伝ってもらえない?」 「はいはい。お勤めご苦労さまでした。アデルさま」  白髪を後ろでお団子に束ね、何でもテキパキとこなすセリーヌは、私にとって乳母のような存在だ。 国を出されることになった私が、一人で惨めな思いをしないよう、なにかと気を配ってくれている。 「お仕事はいかがでしたか? 滞りなく?」 「いつも通りよ。ちゃんとみんなの前では、イチャイチャしてきたわ」 「それならよろしゅうございました。ノアさまとアデルさまは、名目上ご婚約状態とはいえ、いつ解消されてもおかしくない間柄。決して気を許してはいけませんよ」 「分かってるわ、セリーヌ」  立ち居振る舞い、その言動の一つ一つ、どこをどう見られても文句の付け所のないよう、私はセリーヌに完璧に躾けられている。 「いずれアデルさまには、母国シェル王国から連絡がございます。きっと、必ず帰れます。それまでのご辛抱ですから。ですから、アデルさまは……」  また始まった。 ここへ来た時から、毎日のように聞かされているセリーヌの夢物語だ。 確かにこの国へ移ってからのしばらくは、母やその使者たちからの連絡は頻繁にあった。 幼い私は手紙が届くのを毎日のように待ち焦がれ、母の字を見ては泣いていた。 だけどやがて、それも数日の日を置いて届くようになり、最後の連絡はもう3年以上も前のこと。 「いずれノアさまには、アデルさまではなく国内の有力貴族の中から、お妃にふさわしい方が選ばれます。ですので……」 「ねぇ、ずっと外だったから、喉が渇いたわ。なにかある?」 「では、レモネードを用意させましょう。よく冷えておりますよ」  小さな庭を見渡すオープンデッキのテラスで、ようやく身も心も解放される。 日陰の涼しいソファに、飛び乗るようにして横になった。 隅々まで入念に手入れの行き届いた庭を眺めながら、冷たいレモネードをゴクリと飲み込む。 ノアとの関係は、私がここで生きていくための保険のようなもの。 母国との連絡が途絶えた今、そんなこと、言われなくたって分かってる。 「はぁ~。この瞬間が一番幸せなのよね……」  涼しい風が時折ふわりと吹き寄せる。 疲れ切った私は、いつの間にかそこで眠っていた。
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