第1章 第1話

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第1章 第1話

 翌日、王宮のアカデミーサロンに出席した私に、早速エミリーが声をかけてきた。 「新聞を見たわよ。相変わらずノアさまとラブラブね!」 「あら、ありがとう。エミリー」  私は扇を広げ、にっこりと微笑む。 選ばれた貴族の子弟だけが集まる、学園という名の社交場のようなところだ。 「ノアさまもアデルも、本当にお似合いね。素敵だわぁ」  彼女は波打つ茶色の髪を振り払い、どこか遠いところでも夢見るように、両手を組み天井を見上げた。 「そう言ってくれるのは、エミリーだけよ」 「あら、だって本当のことだもの」 「ありがとう」  クスクスと笑い合う。 彼女は私に出来た、唯一気を許せる友人だ。 国力に差のあるシェル王国から豊かなマルゴー王国に庇護されている私が、貴族たちから陰で色々と揶揄されていることを、王宮に出入りする人間で知らない者はいない。 それでも婚約者である以上、対外的には仲良くあらねばならない。 「エミリーがそう言ってくれるのなら、私は安心だわ」 「あ。噂をすれば、ノアさまよ」  白い衣装に淡いミルクティー色の髪。 真っ白い腰までの長さの、刺繍の入った上着に身を包んだ彼は、18歳になり王族としての特別教育が始まっている。 貴族たちの学園であるこのアカデミーに、もう出席することはほとんどなかった。 それでもたまには、こうして仲の良い友人たちに会うために、通りすがり程度に顔を見せている。 サロンとなっている広間を通る廊下から、彼はこちらに向かって手を振った。 私はそれに、同じようにヒラヒラと振り返す。 すぐに行ってしまった。 「まぁ、世間で言われるほど、仲は悪くないじゃない? 実際のところ」 「それはどうかしら。私にはよく分からないわ」  心の底からため息をつきたいところを、ゴクリと飲み込む。 エミリーはアハハと笑った。 「ま、それでもノアはいい人よ。それで仲良くやっていけてるんなら、いいんじゃない?」 「仲良く……、ねぇ……」  それはどうなんだか。 婚約者という肩書きは、この国に長く滞在するための言い訳にすぎない。 それはとても不確実な状態だった。  私とエミリーの座るソファに、ノアの親友であるポールとシモンがやってくる。 ポールは金髪でひょろりと背が高く、シモンは青みのかかった黒髪に、黒い目をしている。 ポールはエミリーを見ると、意地悪な笑みを浮かべた。 「お、エミリー。こないだ配られた問題はどうだった? どうせお前は、また家庭教師にやらせて終わらせたんだろ」 「ちょ、そんなこと、なんであんたに、からかわれないといけないのよ!」 「あはは。せっかく俺が教えてやるって言ったのに、それを無視するからだ」 「ポールに数学を教わるくらいなら、シモンかアデルに教えてもらった方がマシよ」 「え~。なんでだよぉー」  立ち上がったエミリーの後を、ポールは追いかけてゆく。 エミリーの顔は真っ赤だ。 「とにかく、今度のダンスのお誘いは、他の人にしてちょうだい」 「なんだよ。誰にも誘われないと寂しいから、誘ってくれって最初に言ってきたのは、お前の方だったじゃないか」  何だかんだと言い争いながらも、この二人はいつも仲がいい。 そんな姿を見ながら、シモンはぼんやりと宙を見つめる。 「あぁ、俺も今度のダンスの相手を確保しとかないとなぁ」 「今度って?」  シモンはニコッと微笑んだ。 「オスカー卿の馬術競技会のあとの、パーティーだよ」  あぁ。そういえば、招待状が来てたっけ。 「シモンと踊りたい女の子は、沢山いるんじゃない?」  彼はそれには答えず、優雅な笑みを浮かべる。 「アデルはまた欠席? ま、たとえ行ったとしても、アデルは見てるだけなんだろ?」 「そうね。そうだと思う」  他国から来た第三王子の婚約者である私は、公式行事に公務として参加することはあっても、私的な行事に参加することはほとんどない。 たとえ出席したとしても、来賓席に座っているだけだ。 ノアが行くと決めたら、私が同行するかどうかの打ち合わせの連絡が来て、女官長のセリーヌがどうするかを決める。 終了後のパーティーにも、ノアは出席するかもしれないけど、私は行けない。行かない。 「だって、私には場違いだから」 「本当にそう思ってる?」 「迷惑なだけでしょ。隣国の王族っていったって、名ばかりだもの。明日にはどうなっているのかも、分からない身だわ」  シモンはソファの肘置きに腰掛け、そっと微笑む。 周囲から常に好奇の目で見られている私は、絶対的に謙虚であらねばならない。 気が張るだけのパーティーだなんて、出来ることなら回避したい。 「ノアも気にしてたよ。パーティーは楽しいけど、毎回ダンスの相手を探すのに苦労するんだって」 このアカデミーもさることながら、貴族たちが頻繁に開くパーティーは、社交の場でもあり、男女の出会いの場でもある。 そこでみんな、将来の結婚相手を探すのだ。 「あーぁ。さっさと結婚しちゃえば、俺もアデルみたいに苦労しなくていいのにな」 「結婚じゃなくて、婚約よ」 「あぁ、そうだったね」 「だけどシモンだって、お相手を選ぶには、慎重にならないといけないんじゃない?」 「ヘタに身分があるのは、大変だよね」  シモンもポールもエミリーも、ここにいるほぼ同年代の子弟は、みな名門貴族の出身だ。 「シモンはダンスの約束をしてくれる人を、探さなくていいの?」 「そうだった。大変だ。こんなことしてらんないよ。じゃ、またね」  口ではそういいながらも、のんびりと立ち去る彼の後ろ姿を見送る。 家族がいて、ちゃんとした後ろ盾があって、気楽に生きている人たちだ。 私とは別世界の話。 その日はきっと王宮中の人たちが出払って、お城の中も静かだろう。 一人でお茶でもしようかな。 そういえば庭のバラが、そろそろつぼみをつけ始めた頃ね……。 オスカー卿の馬術大会は、毎年開かれる盛大なものだけど、私は一度も顔をだしたことはない。 「アデル」 「ノア? こんなところにいて、大丈夫なの?」  彼は、さっきまでシモンのいた位置に腰を下ろした。 「少し抜けてきたんだ。どうしてさっき手を振ったのに、こっちに来なかったのさ」 「は? だってそんなの、呼んでたなんて、分からないじゃない」 「オスカー卿の馬術大会の話しは聞いた?」 「聞きました。ノアは出席するんでしょ?」 「うん。まぁね。毎年シモンたちと競争してるからな。今のところずっと引き分けなんだ。あいつらなんか言ってた? その……、競馬の駆け引きとかレース展開とか……。作戦とかなにかさ」 「……。別になにも」  てゆーか、そんなの聞いてたって教えないから。 競馬のそんな争いになんて、興味はない。 立ち上がろうとした私のスカートの裾を、ノアはキュッと引いた。 「僕は出席するけど、君はまた断るんだろ?」 「そうだと思う。セリーヌが今までに、一度も許可したことないもの」  私がそう言うと、ノアはフンと鼻を鳴らした。 「そっか。ならよかった。ま、アデルが来ても、楽しいもんじゃないしね」 「そんなことを、わざわざ確認しに来たの?」 「まぁ、ちょっとね」  ノアは随分と機嫌よくなったようで、数人の従者をしたがえ、足取り軽く城の奥へと消えてゆく。 小さな緑の館へ戻ると、さっそくセリーヌからその話しが出てきた。 「今年の、オスカー卿の馬術大会ですが……」 「えぇ、分かってるわよ。私は不参加なのよね。お断りの手紙を書くから、用意してちょうだい」 「その件でございますが、今年は参加していただきます」 「え! なんで?」  手にした紅茶のカップを、思わず落としそうになる。 彼女は頭痛でもするかのように額を押さえ、深くため息をついた。 「大変不本意ではありますが、オスカー卿から特別なお声がけが来ております。今年は人気騎手をお呼びしていて、貴族の子弟だけではなく、一般客を入れる趣向とのことでございますので、ぜひアデルさまにもおいでいただきたいと……」  第一王子であるステファーヌさまと、第二王子のフィルマンさまは、まだご結婚をされていない。 名目上の婚約とはいえ、王子妃と呼べる存在は、この国にはまだ私しかいないのだ。 しかもラブラブ演出をしているため、実情を知らない貴族以外の、世間からの評判は決して悪くはない。 隣国からやってきた悲劇のお姫さまを大切にするノアという存在と、その対象である私は、今回の大会にとって、丁度いい客寄せということなのだろう。 「ノアはそれを知っているの?」 「さぁ。分かりません。たとえご存じだとしても、そうでなくとも、会場でお会いすることはありませんので、ご安心ください」 「そう。……仕方ないわね。なら行ってもいいわ」  ノアと一緒でないのなら、その後のパーティーに出席することもないだろう。 他の貴族たちとも接触は少ない。 「行って、すぐに帰ってくればいいのでしょう」 「そうです。レースをご観覧されるのは、最終3レースのみでございます」 「なら、楽ちんね」 「野外とはいえ、大勢の一般客の目もございます。立ち居振る舞いには、十分お気をつけくださいませ」
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