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何とも言えないイライラを抱えながら、迎えた体育の時間。走っている間は、頭が空っぽになった。それが幸いだった。
ちなみに、佐山くんはサボったのか、体育には出席しなかった。
マジで、お前みたいな授業をサボる不良に『お礼言えるんだね(笑)』なんて言われるとは思わなかったよ。心外だよ、それ以外のなにものでもないわ、くそ。
さて、気持ち改めよう。今は体育も終わって、お昼休みの時間である。せっかくの休み時間なんだ、あんな不良男のことなんて忘れてゆっくりとしようじゃないか。そうだ、図書室にでも行こう。
頭の良い人しか集わない図書室に、あんな無知を体現しているような男が来る訳ない、そう思っていたのに───。
「あ、椿くん」
そう言った男は、本をパタンと閉じてこちらを見て、にへらと柔らかく微笑んだ。
おやおや、本は閉じなくていいんですよ? 俺は何にもしないから、本は読み続けていいです。いや、むしろ、そうしていてほしいんですけど。
***
平穏に過ごすはずだった昼休みは、この不良に見つかったことで実現せずに終わった。こんなつもりじゃなかったのに。ちくしょう、図書室なんか来なきゃ良かった。
俺のささやかな平穏をぶち壊した不良は、少し気まずそうにして、こちらを見ていた。そんな表情したいのは俺だよ。
「えっと、椿くんも、本を読みに来たの?」
「……佐山くんは?」
「見ての通り。読んでたの」
「ふーん、本読めるんだ」
思いっきりの皮肉を詰め込んでそう言ったつもりなのだが、佐山くんは「なにそれ、どういうこと」と言って笑って、流した。
「…………」
「…………」
その後、何とも言えない沈黙が続く。
気まずすぎて、逃げようにも逃げられず、仕方なく佐山くんと机を挟んで向き合うようにして座った。腰を下ろしたことによって、もう逃げるという選択肢は潰されてしまう。逃げられなくなったのはすごく惜しいが、この空気感の中で逃げる気は起きなかった。
腰を落ち着けてからも数秒ほど、沈黙は続く。俺は黙って佐山くんの顔色を窺っていた。彼はと言うと、閉じた本の表紙を見つめていた。そして、突然顔を上げた。
「椿くん、嫌だったよね」
「………は?」
文脈も何もなく放り込まれた突然の言葉に、俺は思わずガラの悪い反応を返す。それに佐山くんは気にする様子もなく「階段での話」と独り言のように呟いた。
(はぁ? 階段での話? あの助けてもらったことか? あれが嫌な訳ない。むしろ助かったけど───)
俺が悶々と考えていると、佐山くんは気まずそうに目を伏せたまま、言葉を放った。長い睫毛が、佐山くんの美しい茶の瞳に影を落とす。今、目の前の男はいつもからは想像もつかない、憂いを帯びた表情をしていた。
「あれ、そういう意味じゃないんだ」
「あれって何の話?」
「えっと、“お礼言えるんだね”って」
「…………」
「ごめん、あれは俺が悪かった。けど、そういう意味じゃないの。言い訳に聞こえるかもだけど……」
一言一言、大切に選びながら落としていく佐山くんを前に、俺は驚いていた。そんなことを気にするのか、と。俺の知っている佐山くんはそんなことを気にしない。
「椿くん、俺のこと嫌いでしょ?」
「…………!」
今度は別のことに驚かされた。待ってよ、それ、バレてたの? いや、そりゃばれるか。あんなに指摘してくるんだもんな。嫌われてるって気がつくか。この鳥頭、そんなことに気が付かないほど鈍感ではないらしかった。いや、俺よりも人付き合いにおいては、ある程度経験がありそうである。
「黙ってるってことは、そういうことだよね」
「……………」
「それでさ、嫌いな人にお礼を言えるのが、流石だなって思って」
嫌いな人には言いたくないじゃん? 佐山くんはそう言って、笑った。しかし、すぐにまた真剣な顔に戻る。
「ごめん、あれは失礼すぎたよね」
この時───この目の前の男の印象が、ぐらりと揺らいだ気がした。
もっと馬鹿みたいな男だろう、お前は。そんなこと気にするような男じゃないはずだ。何言われても直さないような、そんな男だったはずでしょう。
そんなにも、誠実で優しい人なの?
塗り替えられかけた彼の印象を、頭を振って振り払う。そんな訳ないだろう、そんなの俺が一番わかってる。
コイツは、何度言っても何一つ直さないような、授業も無断でサボるような、どうしようもない不良なのだ。こうやって、優しくて誠実そうな一面を見せて、色んな人を誑かしてきたのだろう? それに俺が騙されると思ったら、大間違いだ。
俺は気まずそうな佐山くんを前に「いいよ、気にしないで」とありきたりな言葉を掛けた。
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