姉妹の夢

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姉妹の夢

 ――あ、まただ。またこの夢だ。……  春先の、いまだ冷たいこのような夜。戦争が終わってからというもの、捨太郎(すてたろう)はよく同じ悪夢に苛まれる。  三年前。南方戦線の日本軍の戦いも虚しく、米軍はそこに巨大基地を築き上げた。B-29の攻撃範囲は本土全体となり――すなわち、東京まで大挙して押し寄せ、爆撃、帰還するという作戦も実現可能となってしまった。昭和二十年三月十日、東京大空襲である。  捨太郎は千葉県に住まう小学生だった。兄弟ともども叩き起こされ、寝間着のまま防空壕まで走った。夜空を千切りにしていく(おびただ)しい数の敵影を見て、子供心に恐ろしい思いもした。  しかし。捨太郎が繰り返し見るのは、なぜか、自らのこの記憶ではなかった。  固く繋いだ手は、汗ばむ母の骨ばった硬さではなく、柔らかで愛くるしい女児のものにすり替わる。捨太郎自身、身長はぐっと縮み、おかっぱ髪を振り乱しながら駆け戻っていく女の子に変わっている。  そう、幼い姉妹だ。一目散に逃げていく人々のうねりの中、体が小さいせいなのか、猫みたいにするすると掻い潜って逆走していく。ふたりして今にも泣きそうな心なのに、しかし、戻っていく一呼吸、一歩ごとに勇気と喜びが胸に湧き上がってくるようで。  ――兄ちゃん、そっちにいるんでしょう。  ――兄ちゃん、待っていて、今行くから。 (だめだ……)  布団の中で、捨太郎は奥歯を軋ませながら胸を掻きむしる。  ふたりの兄が町に戻ったということなのか? それとも、何らかの理由で取り残されている? それをふたりして懸命に追いかけているのか。……が、例えそうだとしても、絶対に戻ってはいけない。いけないのだ。  止まれ、どうか行かないでくれと強く念じるが、姉妹の小さな足は二度と止まることがない。すぐ前方に、冷たい絶望の塊がひゅるるるると落ちてこようとも、決して。  捨太郎の意識だけが、幼子の背から、脱皮した白い成虫みたいに抜け落ちる。引き剥がされ、後方に置いていかれるまま、ただ無力な手を伸ばすしかない。  炸裂する閃光。爆熱に飲み込まれる幼い姉妹。  ――自らの絶叫に灼かれるように捨太郎は飛び起き、朝日の下、ぜえぜえと大きく息をした。
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