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 女中は聞こえなかったらしく、戻ってきてくれることはなかった。  よく磨かれた木目の床を、捨太郎はしっとりした足裏で踏み込んだ。まずは早歩きだったが、焦りから本気の駆け足で追いかけ始める。  ドトトト……と鈍く響く足音、まとわりつく泥と石鹸の香り。長い廊下にはただそれしかない、自分しかいないと、駆けながらふと気付く。つい先程までは大人の男達が何人も闊歩(かっぽ)していたのに、今はそうした気配が失せているのだ。  ならばやはり、目下あの女中に尋ねるしかないだろう。  曲がり角が迫った。走る勢いのまま膨らんでしまわぬよう、壁の直角に片腕を伸ばし、四指で掴んでパッと向こう側に出た。 「……あれ」  思い描いていた後ろ姿はなかった。曲がってもなお、人気(ひとけ)のない静かな廊下が延々と続くばかり。目標を失った足は止まり、その場にぽつんと立ち尽くしてしまう。  奇妙だ。いくら場所に慣れた女中とはいえ、十三歳の男子が走って追いつけないことはないはずだ。既にどこかの部屋にでも入ってしまったのだろうか。  首を傾げつつも(きびす)を返し、とりあえず風呂場まで戻ることにした。通学鞄も洗ってしまったため、その中身を全て脱衣籠に入れたままなのだ。  捨太郎が走るのをやめたことにより、廊下はますますシーンと静まり返ってしまった。 「ううん……どうしようかな。蜂矢君のあの笑い声でも聴こえてきたら見当がつくんだけどなぁ。常にあんな風に爆笑してくれる道理もないだろうけど……」  そんな仕様もない考えが頭を(かす)め、口元が柔らかく(ほころ)んだ。  そう、意味もない。でも、どうせ歩いている間は暇なのだからと、なんとなく耳を澄ませるなどしてみる捨太郎だった。  ――……ヵ……ヵ……。 「……ん?」  今、何か聴こえたような気がする。  反射的に立ち止まった。更に集中して耳をそばだてる。  ――……カ……カッ……。  一瞬疑いはしたが、魁の笑い声ではない。もっと無機質で乾いた音だ、何か、固いもの同士がカツカツとぶつかるような……。
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