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きみのとなり
「お前らさ……喧嘩でもしたの?」
小林先輩の言葉に、おれは無言で雑誌をめくり続けた。
あれから数日経つが、先輩とは殆ど話さなくなっていた。
話すどころか……目すら合わせていない。
「…………あいつさ……あんまほっとかない方がいいぞ?」
それでも話し続ける小林先輩に視線だけ向け、また雑誌へ戻す。
───ほっとかない方がいいって……何だよそれ…………
おれが座っている場所から少し離れたところにいる先輩に意識だけ向けた。
あれから……ずっと“あいつ”と一緒にいる。
部員でも無いくせに毎日のように入り浸り、常に先輩のそばにいる……。
「………アイツさ……最近ずっと光流と一緒にいる奴……」
小林先輩が返事すらしないおれに、それでも話を続けた。
「……“武内”って言うんだけど…………高校一緒でさ…………お前だから言うけど………昔、光流と付き合ってたんだよ」
「─────!?……」
「……そん時、散々な思いさせられたくせに……アイツ……ガチでバカだから……ああやって寄って来られると拒否出来ねぇんだよ……」
「…………え…………」
───散々な思いって…………
「まぁ……もうガキじゃねぇから、オレはほっとくけどな…………?」
そう言ってそれ以上小林先輩はその話には触れなかった。
──けど……おれに…………どうしろって言うんだよ……。
小林先輩が言うように、先輩は子供じゃない。
“誰のそばにいるか”……それくらい自分で決めているハズだ。
───なんで…………おれにそんなコト……言うんだよ…………
苦しくなるくらい締め付ける胸に、おれはただ……黙って気付かないフリをしていた……。
結局……それからも先輩とは一言も口をきいていない。
先輩達と行く居酒屋より“ちょっと小洒落た”居酒屋で、おれは何度となくため息を吐きそうになるのを堪えていた。
前から結愛と約束していた『高校の友達』との飲み会に付き合わされていたからだ。
何故か皆彼氏を連れ、当人達以外大して話すことも無く……。
要は『彼氏のスペック争い』の場に連れてこられているんだと……その場にいる男達はそれぞれうんざりしていた。
「結愛の彼のおうち…ホテル経営してるんでしょ?イイなぁ」
ひとりがそう口にして、おれに微笑みかけた。
───そんなコトまで話してんの…………!?
思わず結愛を見る……
満足気に笑っている顔が、全てを物語っている。
───うんざりだ…………
以前なら呆れるくらいだったろう……。
けど今は…………
───先輩に会いたい…………。
すると突然、おれのパンツのポケットの中でスマホが鳴り出し、おれはその場を離れ通話ボタンを押した。
───小林先輩…………?
「──はい」
「あ、忍?突然悪ぃ……今いい?」
今離れてきたばかりの席へ目を向けると不満そうな結愛と目が合ったが、おれは背中を向け電話を続けた。
「あ…………はい……何かあったんですか?」
「…………まぁ…………一応、お前の耳に入れとこうかと思ってさ……」
躊躇うような思わせぶりな言い方に『先輩』のコトだと察しがつく。
「……あのバカさ、武内と一緒に帰ったんだけど…………多分……あれ家上がり込むぞ……?」
「───え……」
「酒買って帰るのなんのって言ってたから」
───先輩…………
「まぁ……どうするかはお前次第ってコトで……」
「あ……ありがとうございます!おれ……先輩んち行ってみます……」
『誰にでも言っちゃうから……』
そう言った先輩の言葉が頭を過ぎった。
別に……先輩があの“武内”とか言う奴を好きならそれはそれでいい……。
けど…………アイツと一緒にいる先輩は全然楽しそうじゃ無かった……。
「ごめん、結愛……おれ帰るわ」
席に戻るなり、カバンを手にするおれに、結愛が唖然としている。
「───は!?……何言ってんの…………?」
「…………ごめん…………」
「───また……あの先輩!?」
「───ごめん……」
「…………本気で言ってんの!?───いい加減にしてよ!私の方が大事だって言ったよね!?」
ヒステリックに叫ぶ結愛に店内が静まり返った。
「───ごめん……だけど…………先輩のが大事だから……」
そして、店内に響き渡る程……結愛が振り上げた手が俺の頬で音を立てた。
「────最低……」
真っ赤な顔でおれを睨みつける結愛に申し訳ないとは思った。
別れるにしても、こんな恥をかかせる様なマネをする必要は無くて。
けどその時、先輩の元へ行くこと以外……それ以上に大事なコトなんて無いと思った。
金曜のこんな時間に簡単にタクシーが捕まる訳もなく、おれは先輩の家まで全力で走った。
息が苦しくて……汗がバカみたいに流れているのも気にならない程、先輩がアイツと……そう思うコトの方が辛くて……胸を締め付けた。
「───ヤダって…………!離せよ!!」
アパートのドアを開けるなり、先輩の怒鳴り声が耳に届き、靴を脱ぎ捨てると奥の部屋へ急いだ。
その間も先輩の「やめろよッ!!」そう叫ぶ声が聞こえ、おれは思い切りドアを開けた。
「───先輩ッッ!!……」
そして目の前の光景に頭がカッと熱くなった。ベッドの上で先輩の小さな身体に馬乗りになって無理矢理押さえ付けていた男の肩を掴むと、おれは思い切りその身体を床に叩きつけた。
「───何やってんだよ!!……先輩──嫌がってんじゃねぇか!!」
腹の底から怒りが湧いてくるのが分かる。
おれは何も考えず、武内の身体に跨り襟首を掴んだ。
生まれて初めて怒りに身を委ねていた。
本気で人を殴りたい……そう思った。
「…………忍……」
驚いたように目を見開き、ベッドの上で服が半分脱げたような状態の先輩に……また怒りが増す───。
「───なんだお前!!……離せよ!」
そう叫ぶ武内に思わず拳を振り上げた。
「───光流から誘ってきたんだからなッ!」
そして……その言葉におれの手が止まった……。
──『誰にでも……言っちゃうから……』──
あの言葉がまた蘇った。
けどもう、そんなコトはどうでもよかった。
「…………だったらなんだよ………今……先輩は嫌がってんじゃねぇか……」
例え、本当に先輩から誘ったんだとしても……
「……1分前……先輩がなんて言ってたかなんて関係ねぇんだよ……」
今……おれの目の前の先輩が嫌だって言うなら……
「今嫌だって言ってんなら……おれは……指一本先輩に触れさせない」
───絶対おれが守る…………
「……………………忍………………」
アイツを叩き出した部屋でおれはため息を吐き
「───大丈夫ですか……?」
先輩に声を掛けた。
それに先輩が小さく頷く。
「……………先輩から…………誘ったんですか?」
それにもまた……小さく頷く。
「……おれ…………邪魔でしたか……?」
そしてそれには……首を横に振った。
ベッドの上で膝を抱き、ただでさえ小さい身体を一層小さくした先輩の横に、おれは座った。
「……どうして…………あんな奴誘ったりしたんですか…………」
それにはただ黙っている先輩に、おれも黙ったまま答えを待った。
この間ほど、先輩が酔っているようにも思えない。
ただ……誰かとやりたかったんなら………途中で嫌がるハズはない……。
───なんで………………
「……忍を…………諦めなきゃって……」
「────え………………?」
「………誰か……他の奴と付き合えば…………忍のこと……忘れられるかな……って…………」
「────は…………!?」
───どういう…………コト…………
「……俺…………誰にでもキスしようなんて言わねぇよ…………」
膝に顔を埋めたまま途切れ途切れになる先輩の声が……
「………忍だったから…………」
信じられなくて……
「でも──忍には……彼女がいて…………俺が……ゲイだってのも知らなくて…………」
───だから………?…おれを諦める為に…………?
「このままじゃ……忍と…………友達でもいられなくなりそうで…………」
膝を抱く、先輩の手が……ギュッと力を増すのが分かった。
「───けどもう…………忍と以外……キスするのもヤダ…………」
───まったく…………この人は…………
子供みたいに……拗ねたような口調に思わず笑ってしまう。
「……なんで……俺に一言も言ってくれなかったんですか……?」
先輩の見るから柔らかそうな茶色い髪を、おれはそっと撫でた。
───柔らかい…………
こんなことすら……初めて知った……。
「…………おれも……先輩だからキスしました」
触れた瞬間、ビクッと強ばった身体の力が少しづつ抜けていくのが分かる。
「少し前から……ずっと先輩のこと見てました……。大学でも………いつも先輩探して…見つけると嬉しくて……」
でもこんなことすら……知ることが嬉しい……。
「………ずっと……なんでだろう………って思ってたけど…………」
こうやって……少しづつでも
「この間…………先輩にキスしようって言われて……気付いたんです」
───先輩を知りたい……。
「おれは、この人のコトが好きなんだって……」
───先輩の全てを知りたい───
「……先輩が“誰にでも言う”って言ったの……おれ……鵜呑みにしちゃってすみませんでした」
膝で顔を隠したまま、おれの言葉を先輩は黙って聞いている。
「…………先輩?……顔、上げてもらえませんか?」
少しすると、やっと……涙で潤んだ瞳がおれを見つけてくれた。
「……突き放すようなこと言ってすみませんでした」
少し情けない、真ん丸の目が……おれの真意を探るように見つめる。
「…………俺…………男なんだけど……」
「知ってます」
「……お前だって…………男だし…………」
「解ってますよ」
子供みたいなやりとりが……先輩らしくて、つい笑ってしまう。
「……………………俺は……忍とキスしたり………その……そういう意味で…………好きなんだし……」
「おれだって同じです」
不安そうに揺れる瞳が、愛しくて仕方がないと思った。
「おれも……先輩とキスしたいし……セックスもしたいです。先輩の全部…………おれのものにしたいです」
以前『胸を焦がす』という言葉の意味が解らないと思った。
そこまで人を好きになることなんて有り得ないと。
そんなに切なくなる程、他人を想うなんて無理だと思っていた。
でも今は………………。
「…………でも……忍は…………」
きっと、その後『ゲイじゃない』そう言おうとしたのだと思った。
「……彼女とは別れてきました。それは、先輩以上に大切なものが無いと思ったからです」
「────え………………」
「おれは……先輩だから好きになりました。それじゃ……ダメですか?」
潤んだ瞳に涙が溢れ出し……
おれはやっと先輩を抱きしめた。
おれなんかより……きっと先輩の方が怖くて、不安だったハズだ。
背中に回された先輩の手が温かくて、少し震えていて……
おれは目一杯先輩を抱きしめた。
どんなに触れても触れ足りない。
どんなに抱きしめても、抱きしめたりない
そう思う程……先輩が好きだ。
「…………おれと……付き合ってもらえますか?」
おれの首筋に温かい雫が落ちていくのが分かる。
ギュッとおれにしがみつく先輩が小さく頷いて……
「………先輩の全部…………おれにください」
やっと告げた想いにも、先輩は小さく頷いた。
「忍!今度この映画見に行かね!?」
“アイツ”が来ることが無くなった部室で先輩が映画雑誌を俺に向けた。
「いいですね。じゃぁ……土曜いきますか?」
「ん!」
嬉しそうに頷く先輩におれは思わず笑顔になる。
こんなことが嬉しくて……
いつも横に先輩がいてくれるコトが……
心から幸せだと思える。
「──なになに?どの映画?」
先輩の反対側の隣から高木先輩もその雑誌を覗き込んだ。
「あ!……オレもこれ見たいと思ってたんだよね」
その距離が…………
───近過ぎる…………
「──高木先輩……もう少し離れてもらっていいですか…………。先輩に触れそうなんで……」
無表情で言うおれに2人の視線が向けられる。
「───え…………」
「……光流先輩はおれのなんで、触らないでもらっていいですか?」
「あ………………ごめん…………」
どこか腑に落ちない……そんな顔で離れる高木先輩に満足しながら
「先輩、土曜は“2人きりで”行きましょうね」
そう言っておれは大好きな人に、顔を真っ赤にした先輩に……笑顔を向けた。
end
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