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銀花姫 2
真っ黒な大きな瞳を少し伏せがちにして、長くて量の多い睫毛(まつげ)でバシバシと瞬(まばた)きを繰り返して、真っ赤な口唇をちょっと困ったように尖らせて、恐る恐るといった感じで両手で持っている両手鍋をオレに押し付けてくる。
「おでん・・・作りすぎちゃって・・・」
「は?この蒸し暑いのにおでん作ったのか?」
「だって・・・エアコンつけたらなんか寒くて・・・あったかいの食べたいなって」
「だからって、おでん作るか?」
料理が苦手なくせに何で急におでんなんか作ってんだよ。
もっとなんか・・・カレーとかあるだろう?
想像の斜め上の料理を作っている雪が、面白くて可愛くて、思わず大爆笑してしまう。
「おでんって・・・!!本当・・・雪は可愛いな・・・くすくす」
お腹を抱えて笑うオレを見て、雪はバカにされたと思ったのか、盛大に真っ白な柔かい頬を膨らませて、不機嫌そうに眉根を寄せた。
「一緒に食べようと思ったのに・・・・・・・・・もういいっ!」
生まれた時から聞いている大好きな高めの声で、子供のように可愛らしく拗(す)ねてみせて、鍋を引っ込めて帰ろうとする雪を、オレは笑うのをやめて慌(あわ)てて引き止める。
「悪い、ごめん。ちょうどお腹空いてたし、あったかいの食べたいなって思ってた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に?」
変わらず頬を膨(ふく)らませたまま、じとっとオレを下から睨(にら)みあげる雪が、世間でいう『上目遣いのあざとい』可愛さでオレの理性を壊しにくる。
漆黒の大きな瞳が疑うようにオレを見上げて、膨らんだ頬は白く桜色で、口唇は何か言いたそうに細かく動いていて、細い滑らかな首に触れたくなる。
思わず細い腰を抱き寄せて、頬に口唇に鎖骨にキスして、めちゃくちゃにしたくなる衝動を、無理やり押さえ込んでオレは大きく息を吸い込んだ。
「本当に。ごめんって。とりあえず、中入れよ・・・」
「うん!」
オレが家に入るように促すと、雪は瞬時に紅い口唇を横に引いてにっこり微笑んで、嬉しそうに玄関に入ってくる。
ったく、現金なやつだな。
オレは体を引いて雪を招き入れて、玄関のドアから手を放した。雪がその小さな細い体をするりと滑り込ませる。オレはゆっくり閉じるドアが雪の体に当たらないことを確認して、ドアを完全に閉めて鍵とチェーンをかける。
雪は履いていた白いスニーカーを脱いで、季節外れのおでんが入った鍋を抱えたまま、いそいそと廊下を抜けてキッチンへ向かう。
その後を追ってオレは雪の隣に並んでキッチンに立つと、おでん鍋をガスコンロに置いて、火をつけて温め直し始める雪を眺めた。
嬉しそうに楽しそうに鍋を監視している雪を、オレは軽く息をついて見つめていた。
小さな背中が楽しそうにウキウキと弾んでいて、細い肩や真っ白な項(うなじ)を思わず見つめてしまう。雪はそんなオレを振り返って、
「おでん温めてるから、猛はお皿とか準備して」
「あ・・・ああ、わかった」
オレが邪(よこしま)な目で見ていたことを察したのか、全く気づいていないのか、わからないけれども、雪はオレを無邪気に見つめてくる。
何だか妙に後ろめたい気分になりながら、オレは雪から視線をそらして、お箸と皿と、ビールとコップを用意する。
熱々のおでんにはビールがいいだろう。
雪はそんなにいっぱい飲めるわけじゃないから、まあ五百ミリリットル缶を一緒に飲めばいいか。
そんなことを考えながらテーブルに皿なんぞを持っていく。
が、ほとんど外食で済ませていてテーブルで食事をしないせいで、テーブルの上には空のペットボトルやらが散乱していて、とてもじゃないが食事ができるような状態じゃあなかった。
オレはテーブルの一角に皿をそっと乗せてから、色々なゴミを適当にゴミ袋に突っ込んだ。
そうやってなんとかテーブルの上を綺麗にしていると、いつの間にか隣に雪が来ていて、ちょっと怒ったように手にもっている布でテーブルを拭きだした。
「もう〜〜!ほこりまみれじゃん!」
「あ〜〜〜・・・悪い」
「本当に・・・昔から掃除できないよね」
雪が少し楽しそうに嬉しそうに微笑みながら、見覚えのない布巾(ふきん)で拭きながら、言った。
「布巾なんてうちにあったか?」
「もうっ!ないからボクが買ってきました!」
「そうなのか・・・ありがとう」
「別にいいけど・・・猛はそういうの無頓着(むとんちゃく)すぎ」
文句いいながらテーブルの上を、雪の真っ白な細い手が弧を描いて移動するのを見て、奇麗だな・・・と思いながら、
「雪がやってくれるからいいかなって・・・」
「え・・・?」
雪がびっくりしたように、手を止めてオレを見上げた。真っ黒な大きな瞳と目が合って、一瞬呼吸が止まった。
「あ、いや、掃除してくれって意味じゃなくて・・・何て言うか、なんだかんだで雪が家に来て片付けてくれるから嬉しいってか・・・」
「・・・っ!」
キョトンとしていた雪の顔が、みるみる赤くなって、目が驚いたように見開かれて、ぱっと下を向いてしまった。
「ごめん・・・甘えだな、自分でやるようにするよ」
「別に!嫌々やってるわけじゃないから・・・大丈夫・・・」
そう言って雪はまたテーブルを拭いて綺麗にすると、オレがテーブルの端に置いておいた、お皿とか箸を綺麗に向かい合わせで並べていく。
俯(うつむ)いた耳も真っ赤だし、シャツからチラッと覗く項も赤くなっていて、可愛いのに妙に色っぽくて、オレは色々やばくなりそうなので目をそらした。
恋人同士にはなれたけれども、そういった、肉体関係はまだいたしてはいなかった。
雪が未経験ってこともあるけど、性急(せいきゅう)にそういうことをしたがるのは、体目的って思われそうで嫌だったし。
なにより雪の体のことや、気持ちを大事にしたかったから、あまり体に触れるようなことはしないように、そういうことを匂わせないように、我慢している。
本当はキスなんか毎日でもしたいし、抱きしめて抱きしめたいけど、そういう空気になると雪が慌てて逃げてしまうから、キスだって告白をした時にしてから、一回もしていない状態で。
色々な意味でまだまだ元気な三十歳だから、正直しんどいけれども、焦(あせ)って乱暴なことして雪を傷つけたくなんかないから、それだけは絶対にダメだから、オレはひたすら我慢している日を重ねていた。
まあ・・・生まれた時から我慢してるし、今更少し我慢するのは別に。
大丈夫だけども、あまり長く待てる自信がないから、今年中にはなんとかしたい。
オレがそんなことを考えている間に、雪はテーブルだけじゃなくて部屋に散乱していた目につくゴミをさっさと手早くゴミ袋に捨てて、散乱していた洋服を洗濯機に入れて、床に落ちていた物を元の位置に戻していた。
部屋の住人のオレですら、それを何処にしまっていたのかわからないような、CDとか爪切りとか雑多な物をてきぱきと片付けてしまう。
ぼけっとしている間に雪はあれだけ散らかっていた部屋を、人間が住める状況にまで片付けると、何処から見つけてきたのか卓上コンロを持ってきて火をつけて、その上におでんの鍋を移動させて置くと、いそいそといつもの自分の椅子に座る。
この部屋にくるのなんて雪だけだから、椅子は二つしかなく、いつの間にか座る位置が決まっていた。
それが家族みたいに自然に決まってしまったから、なんだか嬉しかったことを思い出した。
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