五 警部補参上

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 警部補に睨まれ怯えている豆千代に代わって菱屋が答えた。そのまま恐る恐るといった様子で、手で廊下の先を示す。 「その通りでございます。では、奥の茶室へどうぞ」 「で、この小僧と青年は」  警部補の言葉に憮然とした表情で坊ちゃんが返す。 「小僧ではない。貸本屋の尾白屋だ。僕は店主の富田朔太郎。こいつはうちの店の売り子兼手代兼、僕の従者の二宮三四郎だ」   おいおい、俺の仕事の幅が広すぎやしないか…… 「貴様が店主だと」 「何か不都合でもあるか」  しかし警部補はにやりと口角を上げただけに留まった。  何だろうな……。似た者同士――という言葉が頭に浮かんじまった。    その警部補は藤田五郎と名乗った。  先程の茶室に、藤田警部補と菱屋、豆千代、そしてなぜか俺たちまでもが座らされている。 「なんで俺たちまで」  不服を口にする俺に対し、坊ちゃんは興味津々といった表情で藤田を見ている。完全に首を突っ込む気、満々だ。 「貴様らもあの現場にいただろうが」  この警部補にはなまりが無い。  ポリスと呼ばれていた邏卒たちのほとんどが薩摩出身で、彼らの「おいこら」に代表される方言がいばっているように聞こえるため、江戸っ子たちはとかくポリスを嫌っていた。  だが、藤田はいわゆる『薩摩っぽ』ではなさそうだ。  ま、どこ出身の奴であろうが同じだな。偉そうなのにはちげえねえ。  どこか俺たちを見下しているような態度が気に食わねえ。 「で、貴様らが駆け付けた時には、この娘がすでにいたというのだな」 「はい、悲鳴を聞いて駆け付けた時には扉が開いていて、豆千代さんが腰を抜かした状態で」  答えたのは菱屋だった。 「で、この血は」  藤田が豆千代の着物に転々と付着している血の跡を指す。  指摘された豆千代は、指された血の跡を隠すように着物をぎゅっと握りしめている。 「何も知らずに入ったから……小林様に気付かなくて、ぶつかってしまって」  その時の様子を思い出したのか、再び目を強く瞑ると、「ひぃぃ」と細い嗚咽の声を漏らして肩を震わせた。  なんで傷口に塩を塗るようなことを聞くかね? 「怖かっただろう」くらいの慰めの言葉は掛けるべきだろ。それでもお前は男か。   (男たるもの、婦女子を守るべし)  俺の信条だ。  だが泣いている若い娘をなぐさめようなどという気はないのか、すぐに藤田の目線が移動する。今度は菱屋に問う。 「あの死んだ男は小林と言うのか」 「はい、高輪(たかなわ)にお住まいの小林隼人様でございます。鶴の間で遊んでいらして、豆千代さんもその席に呼ばれておりました」 「では、お前は座敷の途中で抜け出したということか」  藤田の問いかけに、豆千代が小さく首を横に振ると消え入るような声で答えた。 「もう、お開きになっていたの。それよりも前に小林様が席をお立ちになっていました」 「ということは、厠の戸のカギは閉まっていなかったんだ」  唐突に、坊ちゃんが口をはさんだ。
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