42人が本棚に入れています
本棚に追加
/119ページ
警部補に睨まれ怯えている豆千代に代わって菱屋が答えた。そのまま恐る恐るといった様子で、手で廊下の先を示す。
「その通りでございます。では、奥の茶室へどうぞ」
「で、この小僧と青年は」
警部補の言葉に憮然とした表情で坊ちゃんが返す。
「小僧ではない。貸本屋の尾白屋だ。僕は店主の富田朔太郎。こいつはうちの店の売り子兼手代兼、僕の従者の二宮三四郎だ」
おいおい、俺の仕事の幅が広すぎやしないか……
「貴様が店主だと」
「何か不都合でもあるか」
しかし警部補はにやりと口角を上げただけに留まった。
何だろうな……。似た者同士――という言葉が頭に浮かんじまった。
その警部補は藤田五郎と名乗った。
先程の茶室に、藤田警部補と菱屋、豆千代、そしてなぜか俺たちまでもが座らされている。
「なんで俺たちまで」
不服を口にする俺に対し、坊ちゃんは興味津々といった表情で藤田を見ている。完全に首を突っ込む気、満々だ。
「貴様らもあの現場にいただろうが」
この警部補にはなまりが無い。
ポリスと呼ばれていた邏卒たちのほとんどが薩摩出身で、彼らの「おいこら」に代表される方言がいばっているように聞こえるため、江戸っ子たちはとかくポリスを嫌っていた。
だが、藤田はいわゆる『薩摩っぽ』ではなさそうだ。
ま、どこ出身の奴であろうが同じだな。偉そうなのにはちげえねえ。
どこか俺たちを見下しているような態度が気に食わねえ。
「で、貴様らが駆け付けた時には、この娘がすでにいたというのだな」
「はい、悲鳴を聞いて駆け付けた時には扉が開いていて、豆千代さんが腰を抜かした状態で」
答えたのは菱屋だった。
「で、この血は」
藤田が豆千代の着物に転々と付着している血の跡を指す。
指摘された豆千代は、指された血の跡を隠すように着物をぎゅっと握りしめている。
「何も知らずに入ったから……小林様に気付かなくて、ぶつかってしまって」
その時の様子を思い出したのか、再び目を強く瞑ると、「ひぃぃ」と細い嗚咽の声を漏らして肩を震わせた。
なんで傷口に塩を塗るようなことを聞くかね? 「怖かっただろう」くらいの慰めの言葉は掛けるべきだろ。それでもお前は男か。
(男たるもの、婦女子を守るべし)
俺の信条だ。
だが泣いている若い娘をなぐさめようなどという気はないのか、すぐに藤田の目線が移動する。今度は菱屋に問う。
「あの死んだ男は小林と言うのか」
「はい、高輪にお住まいの小林隼人様でございます。鶴の間で遊んでいらして、豆千代さんもその席に呼ばれておりました」
「では、お前は座敷の途中で抜け出したということか」
藤田の問いかけに、豆千代が小さく首を横に振ると消え入るような声で答えた。
「もう、お開きになっていたの。それよりも前に小林様が席をお立ちになっていました」
「ということは、厠の戸のカギは閉まっていなかったんだ」
唐突に、坊ちゃんが口をはさんだ。
最初のコメントを投稿しよう!