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三十 おミネさん
「うわ」
思わず声が出ちまった。
死人は苦手だ。戦でもないのに死人が転がっているのを見るなんてのは、無理だ。もう、あの肌の色が無理なんだよ……
ぶら下がっているというわけではないが、小林の時のように座っている様子でもない。不自然にほんの少しだけ浮いた形で投げ出された女の足は裾がはだけていた。
それなのに、坊ちゃんときたら。
「ほら、もっと前に行かなきゃ、ちゃんと見えないよ」
万が一にも死体から蟲が見えたりしたら、気が変になっちまう。
「おミネさん」
坊ちゃんの声に「え?」と、振り返ると、厠の格子窓に帯締めを結んで首を吊っているミネがいた。
不自然に曲がってしまった首と、血を含んだ泡をたらして締まりなく開いてしまった口元。垂れ流された小便。さらに見開かれた目が白目を剥いていることから、すでに魂の蟲は羽化して昇天したものと思われる――こんな風に、ただ死んでいる状態を、蟲の存在の有無に置き換えて考えてしまう己の思考に、(蟲に取り憑かれちまっている)と、げんなりした。
「これ」
坊ちゃんが指したのは、ミネの頭を飾る二本のかんざし。それぞれ微妙に意匠は違うが、銀細工で透かしの花をかたどった大振りの平かんざしである。
「これは! この間、ここの肥をさらった時に出て来たかんざしと同じものでは」
同じように覗いていた菱屋が叫んだ。
「確か、この女は……」
藤田が取り調べた人物を思い出す前に、菱屋が答えを出す。
「この裏の置屋、春木屋のやり手だったミネさんですよ」
「ああ、そうだ。確か同じような平かんざしを差していたと疑われて、一番に聴き取りをした女だな」
「その聴き取りの結果は」
問うたのは坊ちゃんだ。ほらもう、首を突っ込むだろ……
「小林が殺されたと思われる時間帯に菱屋へ来ていたから疑ってはみたが、騒ぎのあった頃にはすでに置屋へ戻っているのを女郎たちが見ている。その時返り血を浴びた様子も、変わった様子も見られなかったからな、下手人の疑いからは外されている」
「ふうん……」
腕からさらに身を乗り出して、死体の様子を目に焼き付けてやがる。よくもまあ、あんなもんを凝視できるもんだ。
俺にしてみりゃ、さっさとこの忌まわしい場所から離れてしまいたい。
検視の巡査が入って来てくれたおかげで、ようやく追いやられるように厠を離れられた。
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