三十一 疑惑

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「まあ、神通力なんて、そんな都合の良い万能の力じゃないんだから当たり前のことだけれど。おまけに僕自身が、あのかんざしが凶器だとは考えていなかったから、なおさら下手人にたどり着けなかった。つまり、菱屋さんの思い通りには進まなかったということだ」 「でも、それじゃ、まるで菱屋の御亭主が……」  考えたくはないが、坊ちゃんの言い方だと、菱屋が何もかも仕組んだように聞こえちまう。考えようによっては、殺しの下手人をすでに知っているような……  俺が敢えて口にしなかった考えは、またもや坊ちゃんに見透かされていた。 「まさか、そこまで決めつけてはいない。菱屋さんが何かを知っているには違いないが、どこまで関わっているのかまでは、僕にだってわかってはいない」  俺たちがそんな風に推測していることを、菱屋は勘付いているのだろうか。あるいは警視庁は…… 「いやそれでもね、坊ちゃん、おミネさんが殺したと仮定したら、かんざしを手掛かりにされて、いよいよ逃れられないと悟った末、首を吊ったという結末になりやしませんか」  俺にはそれが、一番合点の行く顛末だとさえ思えるのだが。 「きれいすぎる。あまりにも都合がよすぎだ。それに本当にそうだとしたら、あのかんざしにはそれなりの念が遺っていて、僕にも何かが見えたはずだ。だがさっき見たおミネさんの(むくろ)には、あの時のかんざしと同じ色が見えなかった。それどころか、小林さんの遺体に残っていた念と同じ色を感じたんだ」 「小林の……」 「ああ。確かに厠に落ちていたかんざしはおミネさんの物かもしれない。でも、その間に別人の念が挟まっているんだよ」  つまりこうだ。坊ちゃんは『おミネは小林を殺してはいないし、おミネも誰か別人に殺された』ということを言っているのだ。  しかも、 「坊ちゃんは、おミネさんを殺った奴と小林さんを殺した奴が同じ人間だと言いたいんですかい」  しかしその質問には答えてくれなかった。 「……。あ、そうそう、今から僕は伊勢屋さんへ行くから。しばらく店番を頼む」  かわりに店番を言いつけられた。 「おひとりで行くつもりで」  俺の眉間に力が入ってしまった。 「ちょっと確かめたいことがあってね。女将さんに会うだけだから心配ない。たまには自分の脚で外を歩かないと、左の脚まで腐っちまう。引き留めたって無駄だ」  くそっ。小言を言う前に釘を刺された。  確かに伊勢屋は通りを一本、向こうの辻を曲がってすぐだ。 「子供の脚でも五分とかからない距離だよ」――そう言って坊ちゃんは二本の松葉杖を交互に突きながら、ひょこひょこと歩いて行ってしまった。
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