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その日も、例に漏れず母とはぐれた。
遠くへ遊びにいく予定も、祖父母の家に行く予定もなく、散歩がてら母の買い物へついていくだけの用事だった。
空は灰色で、空気は少しだけ冷たかった。涼しい日が続いていたからか、八月だというのに道行く人は長袖を着ていた。
「あれ?」
私は辺りをきょろきょろと見回した。道行く人々の中に、母の姿がない。広い道路を、ひっきりなしに車が通っていく。人が通る。自転車が通る。置き去りにされた私は、その場では完全に異質なものになっていた。
途方に暮れながら、とぼとぼと歩き出す。広い道路に沿った歩道を、ガードレールの内側を、溜め息をつきながら歩いた。
日陰に入り、ガードレールの切れ目に差しかかった。
高架橋の真下まで来たところで、足を止めた。大きな柱と柱の間に、公園がある。私も母に時々連れてきてもらうが、いつ来ても誰もいなかった。公園といっても、砂場と、バネのついたゾウの乗り物と、ベンチがそれぞれ一つずつあるだけだ。けれどその日、砂場にしゃがみ込む人がいた。薄暗い高架橋の影の中、ピンクの服を着て、三つ編みを二つ下げている。女の子だろう。背中を丸め、砂で何かを作っているのだろうか。
「こんにちは」
声をかけると、小さく揺れていた背中がぴたりと止まった。すぐ近くをブーンと車が通る。
その子がゆっくりとこちらを向いた。目が見開かれていて、鼻の穴まで広がっているように見えた。
「こん、にちは」
途切れ途切れにその子は言った。私が名乗らずに声をかけてしまったから、驚かせただろうか。
それではいけないと思い、「わたしのなまえはもりかわのぞみです」と付け加えた。
その子はやっと緊張がほぐれたのか、にっと歯を見せて笑った。
「ユカはユカです。よろしくね」
ユカと名乗ったその子の口から八重歯が覗く。
「ユカちゃんってよんでいい?」
「うん、いいよ。じゃあユカはのぞみちゃんってよぶね」
「うん、いいよ。ね、ユカちゃん。おともだちになろ」
「うん、おともだちになろ!」
名前の呼び方も許可申請制で、友達もなぜか契約制だったのは、変なところで律儀な幼稚園児あるあるではないだろうか。大人から見れば不自然なやり取りも、当時はごく自然におこなっていた。
さて、かくしてユカと「契約」を結んだ私は、彼女の隣へしゃがみ込んだ。
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