おにぎりおやつ

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おにぎりおやつ

 だんだん畑のあぜ道を歩いていた。 「今日はなんだかさむいなぁ」  と、手をこすり合わせる。  だんだん畑や小さな畑では、うちで食べるぶんのやさいを作っている。なんだかんだで三分の一ぐらいはぼくがかんりしているようなものだ、なんて言ったらさすがに言いすぎかな? けっこうちゃんとやってるんだけれど、のうやくをやったりあぜの草をかったりだとかは父さんにたよりっきりだからね。ぼくじゃ、あぶないからなんだけど。  まぁね。だんだん畑や小さな畑はぼくにとってなれ親しんだ場所だ、ということ。  上のだんだん畑のおくに、竹で組んだたながある。古びて弱ったところをつぎはぎしながら、もう五年はつかっているたなだ。そこには、毎年ニガウリをうえている。そのニガウリのたなで、ぼくは足を止めた。思うところがあったから。 「今年は組み直さないとだめかなぁ。てつだってくれ、とか言われたらめんどくさいなぁ」  組むところからだったら、まだいいんだけれど。山から切り出した竹を、ひぃこら引きずって歩いてるのを同い年ぐらいの子に見られたりするとちょっとはずかしい。  今はまださむい時期だから、ニガウリはうわっていない。そして、たなの下の地めんは草が生えるままにしてある。これにはりゆうがあって。――ほら。よく見ると、地めんのあちこちにこそいだようなあとがある。  そう。  ここにはセリが生えるんだ。母さんがここに生えるセリを楽しみにしているから、ニガウリのたなを動かさないでいるんだよね。ちなみに、今日のお昼は、セリごはんとセリのたまごとじだった。この感じだと、ばんごはんのおかずはセリの天ぷらかもしれない。  きせつをあじわうって、大切なことだ――とは思う。 「セリはきらいじゃないけどね。うん」  体のむきをかえ、うちの畑を見わたした。  だんだん畑、小さな畑ら、売りもののやさいを作っているここいらでは大きな方の三まいの畑。これだけの畑があっても、畑だけでせいかつできるほどじゃない。米作りをやめた時、田んぼのすべてを畑にしていたなら話はちがっていたらしいのだけれど。父さんは、畑のそばだった二まいの田んぼを畑にしただけで、のこりは近場の人にかして作ってもらうことにした。うちの田んぼは畑のそばだった二まいをのぞけば、あちらに一まいこちらに一まいとちらばっていたから、やりにくかったのはまちがいないんだけれどね。  インターネットをつかったりして、少ない畑でもうまくやってる人もいるらしいけど。  そういう人もいる、というだけ。 「せめて、だんだん畑や小さな畑でも売りものを作ればいいのに。それもしない」  売りもののやさいを作るのは三まいの大きな畑だけ。だんだん畑や小さな畑では、うちで食べるぶんのやさいを作るのだと、父さんがきめた。売りものにならないやさい――かたちのおかしいのやキズのあるものなんかがどうせできるのだから、そのうちのいくらかをうちで食べるぶんに回せばいいのに。父さんはきっかり分けてしまった。 『だんだん畑や小さな畑はトラクターを入れにくいからね。じゅうぶんたがやせないなら、売りものを作るのはやめとこうか』  なんて、父さんは言ってたっけ。  だんだん畑から、トラクターごとおちたりしたらあぶないからむりはさせられない。ミニこううんきを買ったらいいんじゃないかな、とは思ったけれど。ま、楽をしたいならもう買っているはずだものね。買っていない、ということは――いろいろあるんだろう。お金のこととかさ。……トラクターにしたって、よその田んぼまでかりて米作りをしていたころに買ったものをつかっているわけで。今つかってるのがこわれてしまったら、どうするつもりなんだろう。  父さんの本心はべつにあるのかもしれない。じつは魚つりのプロを目ざしていて畑はほどほどにしておきたい、とかだったらどうしよう。 「う〜ん」  畑だけではせいかつできないぶんをどこでおぎなうのかというと、アパートのやちんしゅうにゅうでどうにかしのいでいるらしい。くわしくは知らないけれど、けっこん前だった母さんが、知り合いから古いアパートを買っていたんだって。今となってはうちのせいかつにぴったりはまっているけれど、母さんはなにを思ってそんな行動にでたんだろう。――なぞだ。なぞでしかない。  ふぅ、といきをつく。  このところ、畑を見わたす時にしぜんとさがしているものがある。 「今日もいない、か」  畑をふくめ、うちのまわりにカラスがいなくなっていた。エサ場をかえたとかいうんじゃないのなら、それは。 「……今日も、カラスはいない」 「ほんと。カラスいないねぇ」  そばで声がした。ぼくの思いを知りもしない、のどかな女の子の声。
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