春の山波病院

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春の山波病院

 ピンク色のつぼみがふわりと開き、若々しい桜が快晴の青空を彩る。  春の風は甘く、あたたかく、ともすれば眠りを誘う。春眠暁を覚えず、だ。  眠っている場合ではない。今年度から、ここが主戦場になったんだ。  神山愛(かみやまあい)は黄色のセダンのドアをばたりと閉めた。眼前には、真っ白な、円柱のようなタワー型の高層ビルが見える。  山波大学病院医歯薬総合研究科、大学病院だ。  県唯一の医学部に付属する病院で、歴史と格式は県内で最も高い。  愛は車のバックミラーで、服装や髪型がまとまっているかをチェックした。紺色のスーツ。短くまとめた髪。高校からの友人、清水陽子(しみずようこ)の評では、『漫画から飛び出たような小顔で、きりっとした目つきだけど童顔。アニメキャラみたい』と言われる。  誉め言葉なのかは微妙だが、愛は鏡に向かって、笑顔を浮かべてみた。魔法学校が登場する映画のヒロインに似ているなと自画自賛した。  これから乗り込む戦場では、愛の武器は笑顔しかないのだ。  愛は中日本製薬販売部のMR(Medical Representatives:医薬品情報担当者)だ。今年で3年目。入社後たったの3年で、県内最重要地点である、山波大学病院の担当に抜擢された。  愛は高偏差値の私立大学薬学部、薬科学科を卒業した後、2年間大学院に進学し、修士(マスター)の称号を得た。  よく勘違いされるのは、 「薬学部を出たのに、薬剤師さんじゃないの?」  と言われることだ。  薬学部には、2種類のコースがある。一つ目は、薬剤師になる薬学コース。6年間大学に通わなければならない。二つ目は、製薬、研究を目指す薬科学コース。こちらは、4年間で卒業できるが、大学院に進学して、最低でも修士、できれば博士号をとらなければ企業の研究、開発職としては雇ってもらえない。  陽子とは同じ大学に進学したが、彼女は薬学コースを選んだ。無事国家試験に合格し、今では山波大学付属病院に非常勤薬剤師として3年勤務している。  愛は修士号をとったものの、研究開発職に就くことはできなかった。周りは東大、京大を含めた薬学部で一番頭がいいライバルたちなのだ。2次試験すら突破できずに夢破れた。  それでは博士号を取るためにもう3年間大学院で研究するかと問われれば、とてもそんな気にはならなかった。愛はバイオ系の研究室に所属していた。バイオ系は、とにかく実験の待ち時間が長い。2時間、3時間はざらだ。  研究室は汚染防止のため、化粧厳禁。徹夜は美容の大敵だ。
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