佐藤広次の秘め事

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 しかし困ったのは、論文の共著者の記載だ。アイディアを出したのは丸道だから、当然名前を載せるべきところだ。だが、偶然ランチを共にした基礎研究室の名前がクレジットされるのは、厳格な大見教授の怒りを買うだろう。  困り果てて丸道に相談すると、 「あなたのアイディアってことで載せてもいいわよ」  と明るい返事が返ってきた。  論文は無事雑誌に掲載され、広次の『難治性てんかんにおける2剤投与の効果』論文は、治療成績もさることながら、薬剤コストの減少という二つの観点が評価され、雑誌の表紙をかざった。  漫画に例えれば、巻頭カラーをもらったようなものだ。  広次の論文は、薬剤コストの方面からも高く評価された。現在の広次は、治療コスト推計のプログラム開発も、仕事として手掛けている。  もちろん旨い話ばかりではない。丸道に助力を頼んだ見返りが、この不倫関係ということだった。  広次はさも酔ったふりをして丸道の隣に座った。椅子が小さいので、二人の身体が密着する。生ぬるい女体の体温が伝わってきた。 「医療経済学の教授選、立候補することになったんだって? 勝算はあるのか」 「あるわよ。まず私は、卒業大学も博士取得も山波大学。ぴかぴかの純血種よ」  山波大には、地方にあるとはいえ、国立大学というプライドがある。母校を卒業し、博士論文も書いた人物は純血種、他の大学を卒業し、医局に入った人物は混血、旧帝国大学から移ってきた人物は外様と、陰で区別されている。 「きみのボス、霧島教授はK大出身だろ。よく立候補させてくれたな」 「霧島教授にも狙いはあるのよ」  丸道もビールの缶を開けた。ぷしゅっという炭酸の音がした。 「医療経済学教室に、有力なK大出身の教授が赴任したら、自分よりも優秀なK大の先生の影に隠れてしまうわ。それならば、自分の息のかかった准教授をトップに据えて、陰で医療経済学の講座を支配するおつもりね」 「なるほど。教授会は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣窟だな」  広次は2本目のビールを開けた。 「それで、勝算はあるのか」 「無ければ、辞退するわよ。まず、女性が多く所属する眼科と皮膚科、そして形成外科は私に票を入れるわ」 「二つは分かるが、形成もか?」 「ええ。あそこは乳がんで失った乳房の、幹細胞を用いた再生、再建医療を研究しているチームがある。私が教授になれば、研究予算増額があると思っているはずよ」  丸道はビールを一口飲んだ。喉がこくりと上下する。 「旧帝大組だって一枚岩じゃない。T大系とK大系は仲が悪い。病院長の推薦では、K大の教授候補を擁立するみたいだけど、T大組は離反する公算が高いわ。私に票が入る」  国内最高難度の偏差値を誇るT大医学部、移植医療に強くやノーベル賞受賞者を出したK大医学部。この二つのライバル意識は強い。  広次は丸道の読みは外れていないと思った。
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