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「ところで中日本さん、医療経済学の教授選、誰が出るの?」
小児科レジデントが、ドーナツの粉がついた唇をぬぐいながら尋ねた。
ここで隠しても仕方がないだろう。どうせ1か月後には皆が知ることになる。
「有山力人さんです。医療統計学と、検査診断学の推薦を得ています」
「有山? 知らないなあ」
「統計と検査か。小さい教室だけど、教授には違いないもんな。病院改革で、影響力を上げたいというのが本音かな」
「教授選に出るってことは、博士号持ってるってことだよな。どこの博士だ」
研修医室がざわめく。
「山波大医学部から博士号を授与されています」
愛は言い切った。
「マジかよ。それじゃ混血だ。旧帝大を嫌う教室の支持を得られそうだな」
精神科の助教が驚きの声を上げた。
「何の専門誌に論文を載せたの?」
これも黙っていても知れ渡ることだ。医師の感想も聞いてみたい。
「昨年の、『山波大学医学部 年間研究雑誌です』」
「アレかあ」
精神科の助教が、少し興ざめした様子でつぶやいた。
「去年の雑誌なら、バックナンバーが確かこの部屋にあったはず」
伸明は雑誌が積みあがった棚をあさり、地層のようにうずたかく山になったところから、一冊の雑誌を引き抜いた。真っ白な表紙に、黒いインクで『山波大学医学部 年間研究雑誌』と印字されたシンプルな構成の本をぐいっと折る。無言でページをめくった。
「あった。これだ」
医師たちが顔を突き合わせるように集まった。
「『赤字私立病院並びに赤字公立病院黒字化の戦略比較』和文だな。とにかく、中身を確認だ」
論文がゆっくりと読まれる。
「これ考えもしなかった。病院とマンガ喫茶兼インターネットカフェがコラボするなんて」
女医が驚きの声を上げた。
私立病院ならではの荒業だ。待ち時間を楽しく過ごしてもらうため、ネットカフェを誘致した。マンガ喫茶には週刊少年誌の新刊を始めとする人気マンガを集めた。それだけではない。病気の啓発マンガも取りそろえ、患者自身が自分の病気を知ることができるよう工夫してある。
パソコンには病院の診察アプリがインストールされており、検査や手術の内容がやさしく解説され、動画まで閲覧できるようにしてある。
飲み物は水と麦茶だけで、糖尿病を始めとする、病気を悪化させかねない飲料は排除してある。
もともと待合室に新聞やマンガを置く医院は多い。私立病院のケースでは、それをグレードアップさせただけだ。
「この『特急券』も凄いな。公平性に文句が出そうだが、発想としては素晴らしい」
助教が感嘆の声を出した。
『特急券』とは、正規保険料金の他に2000円を支払えば、待ち時間30分以内に診察に呼ばれるというサービスだ。もちろん助教が言うように、公平性への懸念が出た。しかし、最大手遊園地にもプレミアムアクセスというサービスがある。また、入院患者には『個室という差額ベッド』がある。外来でも同じようなサービスを展開して何が問題なのか、という論理で武装されていた。
儲けた料金は病院の購買での価格を下げることで一般の患者も恩恵を受けられるシステムとなっている。
全体としては、お金持ちは早く診察を受けられ、普通の患者は安く売店を利用できる、おまけに病院は購買での売り上げが上がるというメリットを生み出しているのだ。
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