密室での会談

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「ただいま」  玄関から、元気のいい声が聞こえる。  愛は寝間着に着替え、音楽を聴いていた。慌ててイヤホンを外す。  茶色いスーツに身を包んだ力人がベッドルームに入ってくる。手には大きなカバンと、ビニール袋が握られていた。微かにタバコの匂いがする。力人はタバコを吸わない。誰かと会ったようだが、詮索するほどでもないだろう。 「愛。早いね。いや、俺が遅いのか」  力人はおどけてみて、ネクタイを緩める。  愛はベッドから立ち上がり、スーツを脱がせてやった。もうすぐ夏だというのに、まだ暑そうな恰好をしているのかと思う。  力人のスーツを持つ。とたんに、愛は寝間着姿なことに気づいた。恥ずかしさがこみ上げてくる。 「ごめんなさい。こんな格好で。今、ちゃんとしたのに着替えるから」 「いいよ。もう休もうとしたんだろ。俺は気にしない」  力人は白いワイシャツ姿になった。愛はスーツをシワが残らないようにクローゼットにしまう。 「シーザーサラダを買ってきたんだ。よければ、食べるか?」  力人はビニール袋を振った。がさりと音がする。  愛は今日、ろくにものを食べていなかった。サラダという単語に、お腹が反応する。 「ありがとう。いただくわ」  愛と力人はリビングに移った。高級マンションのリビングは光沢のある床で、ライトを反射する。テーブルも重厚な逸品だ。  愛はキッチンから、白い大皿と、小皿を2枚、テーブルに持ってゆく。力人はサラダを大皿に移した。  みずみずしい緑色のレタスに、赤いベーコンが散らされている。白いドレッシングが食欲をそそる。  愛は箸で自分のぶんを小皿に盛り、一口食べた。レタスのシャキシャキ感と、オリーブオイルとチーズの濃厚さがたまらない。 「俺はワインをいただくよ」  力人は冷蔵庫から赤ワインを取り出した。コンビニで売っているような安いワインではない。ワインオープナーを使って、しっかりとコルク栓を抜く。 「私も一口」  テーブルに二人分のワイングラスが並んだ。  力人はしばし香りを楽しみ、グラスに口をつけた。 「ずいぶん遅かったのね。何をしていたの?」 「山波大学医学部の、臨床の教授たちに会っていたのさ。をしてもらえるようにね」  愛には意味が分からない。  力人は愛の困惑した表情を見て取ったのだろう。ワインをグラスの半分飲み、説明した。 「基本的に、基礎の教授になろうとするには、主要論文5編から10篇が必要だ。世界に誇る業績と、後進の育成のためにはそれが必要なんだろう。だが、俺にとっては不利だ。医学系の論文は博士論文だけ。後は病院立て直しの論文が数編あるだけだ。世界に通用する論文ではない」  言われてみれば確かにそうだ。力人は神経内科の准教授のように、論文の質や数では不利だ。  愛はワインを口に含む。爽やかな飲み口と、フルーティな後味が残った。
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