最初の試練

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 ワイルドな医師がゆっくりと挙手をした。 「ど、どうぞ」  思わず声が裏返ってしまう。 「佐藤広次(さとうひろつぐ)です。会場には研修医もいる。ええと、神山さんだっけ、簡単にてんかんの説明をしていただけますか」  入門のような質問だ。助け船か、それとも試されている、と愛は思った。  大学時代と、入社以来の知識を総動員する。 「釈迦に説法とは思いますが、てんかんは脳神経の異常発火が原因の疾患で、大きく分けて全般発作と、部分発作があり、」 「もういい。そんなことは、教科書を読めばわかる」  大見教授が有無を言わさぬ口調で打ち切った。 「それよりも、僕はPMEの新薬について知りたい。どのくらいまで開発が進んでおるのかね?」  愛はうなじを冷や汗がつたうのを感じた。PME、何だっけ。確か教科書のすみに載っていたような。  そうだ、進行性ミオクローヌスてんかん(progressive myoclonic epilepsy:PME)だ。  そこからが出てこない。頭のどこかで情報が詰まったようだ。  10秒、20秒。会場が気持ちの悪い沈黙に支配される。 「申し訳ありません。私の勉強不足です。一度社に持ち帰り、後日詳細を送付させていただくという形でよろしいでしょうか」  愛は深々と頭を下げた。  失敗した、という絶望感と、温厚そうな見た目に反して何ていやらしい質問をしてくる教授なんだという怒りがない交ぜになる。 「僕はね、Lefora(ラフォラ)病の薬に興味があるの。今度でいいから、調べてきてね」  あくまで丁寧に、教授が質問を終えた。 「てんかんはね、一度発作が起こると車の運転なんかに多大な影響を及ぼすの。道路交通法も改正されたしね」  大見教授が追撃をかける。  一時期、てんかん患者が運転する車で事故が相次ぎ、2014年6月に道路交通法が改正された。てんかん患者は2年間発作を起こさないと医師が診断するまで、免許の取得や更新ができない仕組みになっている。  免許申請の際、チェックシートが配布される。そこに虚偽の記載をすれば罰則が科せられることもある。  大見教授の意見は、正当なものだ。  愛には言い返せるだけの材料は持ち合わせていなかった。 「ジェネリックもね、解熱剤とかにはいい選択肢だと思うよ。でも、てんかん領域はだめだ」  そう言って、弁当箱からから揚げをつまんだ。 「先発品は博多の塩。後発品は普通の食塩だったとする。僕みたいな味音痴にはどちらでも構わないけれど、ソムリエみたいな職業の人には重大な違いだと思う。てんかん治療とは、そういうものだよ」  教授がから揚げを美味しそうに口にほうりこんだ。 「んむ、時間だね」  時計を見ると、午後1時を示していた。持ち時間の1時間を使い果たしてしまった。 「今日はありがとうございました。これからも、ご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします」  愛は型どおりの締めの挨拶をするだけで精一杯だった。  しょげて帰り支度をする愛。  彼女は会議室の後ろに座った眼光鋭い男に見つめられていた。  そのことを、愛はまだ知らなかった。
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